洞と会津(かいつ)

この間バイクに乗って、那比へ行ってきた。今にも夕立の来そうな曇り空の下、意を決し、最短ルートにした。
中野の稲荷橋からトンネルを抜けると、私が気に入っている百間淵を渡り、左折して相生方面へ行く。那比川に出合い、右折して、上流へ向かう。道順を心配しながら走っていると、ある喫茶店が見つかった。この前友人が紹介してくれた店で、迷わずに行けたのは僥倖だったかもしれない。
実はここの店主が地元の地名を研究している人で、森地区の地名を幾つか資料を見せながら説明してくれた。
私は郷土史の最前線にいるわけではないが、自分を知る一環として、身の回りにあることに興味を抱き続けてはいる。
地名に関して言うと、史料に載るものを現在地にあてる作業はしても、地名そのものを研究することは殆どなかった。この地域においても古代・中世史の史料は限られている。私は、手がかりになりそうな方法があれば、よく考えもせず安易に飛びついてしまう傾向がある。よって、自らを戒めるために、地名学を遠ざけてきた経緯がある。
とは言え、那比川上流にある「宇留良」はずっと頭から離れない。森地区はそこへ行く道中に過ぎなかったが、妙に気になる点が幾つかあった。今回は二つ。
ほんの二十軒前後の集落に小字(あざ)として、森開津、居会津、東会津、下(しも)会津があると云う。
「垣内」は地名として一般に「カキウチ」、「カイト」などと呼ばれる。郡上では「カイツ」が最も多く、「カキウチ」がこれに次ぎ、これらの他「カイト」「カイチ」「ガイツ」「カイド」「カイズ」などと読む例があるそうだ。
私には「垣内」が中世以後の開墾地につく地名だという印象がある。だが、中世と言っても幅が広く、どの時期に当てるかはそれぞれ個別に取り扱わなければなるまい。
もう一つ、集落の東端に海道洞という字があると云う。そのまま読めば「カイドウボラ」になるだろうか。この地区が会津で溢れていることからすれば、「海道」もまた原形を「カイド」あたりに読めないか。「カイド-洞」を復元できれば、「洞」がもとにあって、「カイド」が加わった形に解せそうだ。
今のうちに言っておくと、私は「宇留良」を「温羅」と同源とみており、「那比」は<nap>あたりで「高い」、「洞」を<pol>で「集落」の義を念頭に置いている。
歴史学は史料をもとにする以上、伝承された地名だけでは再構成できない。が、どの地区のどの時代でも確かな史料は足りないのであって、しっかり議論するならば、地名もまた補強材料の一つになるかもしれない。

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