徹夜踊り

今年も八幡の徹夜踊りが終わり、夜風が涼しく感じるようになってきた。ほっとしている人が多いのではあるまいか。踊りの起源については幾つか説があるけれども、盆踊りには違いなく、都会に出ている子供たちが帰郷する家が多いだろう。
お盆のニュースはなぜか、交通機関が満員だとか高速道路が渋滞しているなどの情報と共に、帰郷する側のコメントを中心に報道される。田舎は身内の事だから、手放しで喜んでいるかのごとき扱いである。
田舎の側からすれば、子供の家族が纏めてやって来るわけだから、大変さは想像を絶する。来る前から少なくとも部屋の掃除やら、食料の調達、寝具の準備などをしておかなければならない。
嫁や婿だけなら気を使うことがあっても、大人同士の話ができるし、気晴らしも難しくない。ところが孫が帰ってくるとなると、文字通り目が回る。家の大きさなどそれぞれ事情が違うから一概には言えないとしても、我が家では食事や風呂の準備がとくに大変だ。
子どもが小さいと、生活環境が変わり、体調を崩したりする。我が家の場合、便秘になったり、汗疹や水疱瘡などにかかったりしてきた。また彼らは都会暮らしで躾をされており、年寄りがどれぐらい口を出してよいものやら分からない。
郡上はこれに徹夜踊りが加わる。今は新町で三日、本町で一日の計四日間行われている。この間、特に観光客が多く、町中が騒然としている。
しかも家の中の人口密度が高いわけだから、落ち着く場所がどこにもない。このあたりの年寄りは、「子供たちが帰って来るのは嬉しいが、帰って行くのも嬉しい」という意見が多いのではないか。
私は郡上踊りをほとんど踊れない。子供ができた後に郡上へ引っ越してきたからか、体の中の血や潜在意識まで踊りが浸透していないのかもしれない。春祭も同じで、心が躍ることはない。ここで過ごした少年時代の記憶がなく、どうしても大人の理性で行動してしまい、華やいだ気分になれないということか。地元の人からすれば、水臭いと感じるかもしれない。
私は踊りに来る観光客が増えているのか減っているのか知らない。町が観光で生きようとしているので邪魔はしないけれども、協力する気にもなれない。この辺りがよそ者の域を出ない所以だろう。
この町には、まだまだ、さまざまな地場産業が育つ可能性がある。もう少し檀那衆が元気を出して若い世代に投資をし、彼らがそれなりに暮らせる土台をつくらなければ、このまま縮小再生産を続けるほかあるまい。