忘れ傘

私はよく忘れ物をしてきた。無論、今もそうである。すでに若い時からその傾向があり、何かの記念に頂いた有名なメーカーの万年筆や腕時計も数か月もしない内に無くしてしまったことがある。
当時無くして惜しいという気持ちはあった。頂いた方に申し訳ないし、なにより簡単に大切なものを無くしてしまう自分に失望したと思う。
私は決して豊かな家庭で育ったわけでなく、むしろ底辺に近い環境で育った。何度も友達が手にしているおもちゃを自分も欲しいと思うことがあった。中でも、竹ひご飛行機が欲しかった覚えがある。少年時代の最後の方で一機手に入ったかどうか。高価なものには手が届かなかったが、幸い当時はメンコや鋳鉄製のベーゴマが流行っていて、これらなら小遣いを貯めれば何とか手に入った。確かメンコはペッタン、ベーゴマはバイと呼んでいた。
メンコは枠から相手を追い出して自分のものが残っていれば勝ち、相手を裏返して自分のものが表であれば勝ちだったと思う。
ベーゴマは、はっきりルールを覚えていないけれども、当って弾き飛ばせば勝ち、相手より長く回っていればやはり勝ちだったかな。但し、布の盆に入れる時に直接あてに行くのはなかったように思う。
背が高くバランスのとれたものはよく回るが、低いものに当ると弾き飛ばされる。対戦するコマにもよるが、形や重さで強さが変わるので背を低くしたり、芯出しに円錐形の曲面を気に入るまで磨いていたものだ。ゲームで負けて失うのが惜しかったので、自分なりに腕を磨き、結構な数を集めていた。相当のめり込んでいたと思う。
ところが母親が賭け事を嫌い、せっかく集めていたものを皆隠してしまった。私には捨てたと言っていたが、床下の奥にあるのは分かっていた。十歳を過ぎたあたりで、父親が亡くなってしまった後だと思う。いわゆる母子家庭というやつで、母親が懸命に働き子育てをしていることは子供なりに分かるからか、彼女に反論できなかった。無念だったとは思うが、それ以後ばったりやらなくなってしまった。
この辺りかなあ。物に執念を燃やすことを用心し始めたのは。大学時代も、気に入って手にいれたパイプや登山用具もいつの間にか無くしてしまった。
ものに対する執着心が薄いだけでなく、所有の考え方があまり発達しなかったのかもしれない。
ああそうそう。私はやはり学生時代、一日に傘を二本無くしたことがある。割合大切な一本目を無くして後悔していたのに、その日に買った二本目を無くしたときには流石に意気消沈した。ところが、ここ数年傘を無くしていないのだ。どこが進歩したのか分からないが、雨が止んでいても、傘置きに目が行くようになったとは言える。