楽しみ

この時期、暑さ寒さに悩まされることが少ないし、周りでは紅葉が始まっている。今夏は暑かったとは言え、大病することもなく、何とか過ごせた。体が楽になるにつれて、何となく食べ物もうまいような気がする。
今の楽しみを描こうと思う。あくまで私のそれであって、年寄り一般とはいくまい。ワクワクするとまでは行かなくとも、何とはなしに気が楽になり、もう少し生きてみようと思うことを書いてみたい。
さほど仕事で世に貢献できるはずがないとしても、それなりに食えているのであるから、私なりの任務があると理解している。私に何らかの役割があるとすれば、それを全うすることに異存はない。経済状態からして負け惜しみと取られかねないが、定年のないことがむしろ張り合いになっているかもしれない。私の能力では、すっかり世事を逃れても、何かを達成できるわけではない。
ただし、私の仕事は自分で評価できる筋合いのものではないから、私の主観がどうであれ、役に立たない状況になれば退くほかない。体と根気が続く限り、生涯現役でやるつもりではいる。
私が取り組んでいる「小学」については、短期でどうなるわけでもないので、ひたすら熟練を目指すのみである。私にとってそれは単なる趣味と言うよりは、ライフワークに近い。髭もすっかり白くなってしまったのに、未だ初心者の域を出ておらず、毎日つまずいている。余命からして、こんな悠長なことでは駄目なことを重々承知しているが、つまずくたびに立ち止まって考えるのがやはり面白い。
私は、若い時に手に負えない数多くのテーマを棚上げしてきた。いつか必ず解決するつもりだったが、それぞれが重すぎて、とても扱えなかったことを告白する。としても、その幾つかは、正面に据えて楽しんでいるとは言える。
俗世間の楽しみと言えば、まず家族の笑顔だろうが、周りの景色や近所との挨拶なども格別愛おしくなってきた。相も変らぬ料理もまた、今までとは違った味わいを感じる。
どこかへ旅をしたり、旧友と話し込んだりすることもきっと楽しいにちがいあるまいが、なんだか遠い世界のように感じてしまう。今年はどこからも温泉へ行く話が出てこない状況になっているからか。
何も韓国が竹島を実効支配し、中国が尖閣諸島の領海を侵犯しているからではない。私が、頑なに論を振り回し、友人を失っているからである。ほどほどには後悔している。この歳になると細かな配慮が面倒になると言い訳するのは、しなやかに生きている人をないがしろにしていることになる。
周りにいる人に、誠実に向き合うことの大切さを改めて実感している。

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