瓢岳(5) -禅定峯-

瓢岳の呼称については、すっきりしないところがある。このシリーズの根幹にあたるから、慎重に検討したい。
『濃州郡上郡那比之郷巖神宮大權現之傳記』(淨覺 1351年)には、瓢岳を指すと思われる記述が三つある。抜粋すると次の通り。
1 「高光遙看此岑絶頂行衞不識分登給大成岳有三 中岳 (中略) 從是登南岳」
2 「山治泰平給故名福部嶽」
3 「淸淨堅固地故依宣旨號禪定峯」
1は難解で、原本を訳したと思われる『星宮大權現傳記』では、「高光遥かに看(みそなは)し、この峯の絶頂を行衛もしらす分登り給ふに大成岳三つあり」と伝えている。やや不審なところがある。
この他に幾つか読み方が考えられる。「大成岳有三」の「大成岳」は、「有三」の行文から、固有名詞とは解しにくい。「大成る岳三あり」と読めば、「高光遥かにこの峯の絶頂を看し、行くへも識らず分け登り給ふに、大成る岳三あり」あたりか。
とすれば、三つのうち「中岳」「南岳」が記されていることになるが、もう一つが不明となる。今のところ私は、中岳を瓢岳、南岳はそのまま今の南岳に充てている。
2は、用語に不安もあるが、一応「山が泰平に治まり給ふ故に福部嶽と名つく」と読んでおく。
3は「淸淨堅固の地故に宣旨に依り禪定峯と號す」でよさそうだ。「禪定」を「淸淨堅固」と解している点が、当時の理解を示しており、興味深い。
以上でよければ、私は、高光が「福部嶽」と名づけると同時に「宣旨」によって「禪定峯」と号される点に疑問を持たざるを得ない。
『巖神宮大權現之傳記』の中にはこの他にも「名」「號」「号」の用例がある。それぞれ検討すべきだが、ここで細部まで研究するわけにもいかないので結論だけを述べると、やはり「名」が正式名称、「號」「号」が非公式の呼称ないし通称と解してよいのではないか。とすれば、文脈上おかしなことになる。「宣旨」によってつけられた禅定峯が公式名称ではなくなってしまう。
私は、3の「淸淨堅固地故依宣旨號禪定峯」をほぼ史実とみている。宣旨によるのであれば公式名称と考えてよく、軽くは扱えまい。或いは、高光の「福部嶽」命名に先立って、広く「禪定峯」と呼ばれていたのではあるまいか。
この辺りで「禪定」と言えば修験道に関連し、白山の越前禅定道や美濃禅定道が知られている。また、大矢田神社がかつて禅定寺と呼ばれていたことにも関連しそうだ。私は、この「禪定峯」という山名自身が初期白山信仰の痕跡だと推測している。

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