豆ごはん
続けて食べ物をテーマにするのはどうかな。ただ、頂いたエンドウを豆ごはんで食べたのがおいしかったので、なりゆきで書く気になった。
豆ごはんと言えば、枝豆を連想する人もいるだろう。私は両方とも好きである。今回は、初夏においしいエンドウを取り上げる。気楽に読んでいただきたい。
さて頂いたエンドウは、やや収穫が遅れたためだろう、豆が大きくなっているものも多かった。
雪が降る前に種を蒔いておき、棚を立てて蔓を伸ばす。春になると、豆の葉が薄緑で美しい。少しずつ大きくなって、柔らかそうな莢ができる頃になると誠においしそう。豆が入るかどうかという時点で取ってしまうから贅沢この上ない。だが、初夏の味と言うのだろうか、一度は食べてみたい食材なのである。
私は、この若いエンドウを何かの出汁で煮て、卵でとじたものが好物だ。この場合は莢を中心に食べるから、早い段階で収穫することになる。なぜか、昔からこれを絹さやと呼んでいる。
今回は既に豆が結構大きくなっており、まずは豆を取り出して、豆ごはんを食べることになった。
香りがいかにも新鮮で、ほんのりとした塩味がよく合う。青臭いというのではなく、まさに初夏の爽やかな香りと言ってよい。皮も柔らかく、実にも適度な水分があり、やや硬めに炊いたご飯が柔らかめの豆に相まってまたよろしい。完成度の高い食事をすることはさほど多くないけれども、まずまず上出来の部類であった。
となると、絹さやの卵とじをどうしても期待してしまう。我が家では、鶏肉や鰹と昆布の出汁で豆と高野豆腐を煮ることが多く、最後に卵でとじる。
豆ごはんの翌日だったか、煮てくれた絹さやの味見をすると、香りが良い上に味のバランスもよく期待が高まった。ところが莢を食べてみると、ああ何と、筋だらけである。それでも、少しは豆の入っているものがあり、噛んでいるとそれはそれで中々ではあった。しかしまあ、残念ながら、失敗作である。
こうなると、柔らかい絹さやを煮て食べたくなるのが人情だ。幸いというか、百姓をやっている友人が「もう最後やけど」と言いながら、さやエンドウをくれた。
本日少しばかり茹でて食べると、まだいける。旬よりやや遅れることになったが、明日は、卵とじが食べられそうである。