「咎」という字は、子供のころからどうしても頭に入らず、不思議だった記憶がある。
意味は「とが」で、「科」と類義に使われることは分かっても、「キュウ」「グ」という音がどうしても覚えられなかった。
私は自分に甘い性格だったので、自らを厳しく律して、頭に叩き込むという方法は苦痛だった。このように理解が届かない情報は、昔も今も、左から右へ通り過ぎてしまい、使いこなせない。
今思えば、人並みとはいかないとしても、頭の柔らかい時代に無理気味でも格闘してものにすべきだったかもしれない。
すでにこの歳になっては、力づくではどうにもならないから、少しばかり筋道をたてて考えてみる。十分ではないが、少しは音義を確かめる手段が増えてきた。しっかりやれば、あるいは頭の隅に定着するかもしれない。
さて現代では、殆どすべての辞書で「咎」の部首は口とされる。私の能力では、すでにこの時点で腑に落ちない。上に乗っている形や音義がよく分からないのだ。
いつ頃から、このような解釈が行われるようになったのだろう。清代の『康煕字典』では口部の五画に分類されている。これは国家事業として作られた辞書だから、当時この解釈が正しいとされていたのだろう。
これだけでは、いつ頃から口が部首になってきたのか分からない。『一切經音義』という文献から唐代中期以後だろうと推定できても、手元に字形を取り上げた辞書がないので確かめようがない。
六世紀前半の南北朝に編まれた『玉篇』では、人部である。これなら、すっきりしている。念のため確かめておくと、「各」と「人」の組み合わせである。『玉篇』は、部首の分類に関して、ほぼ『説文』を踏襲している。
実際に『説文』を引いてみると、確かに人部になっている。「从人各」だから、「人」「各」の会意字であることが確かめられる。
語源は、甲骨文や金文に遡れないとしても、篆書体がしっかりしているので、春秋戦国時代あたりで概念ができあがってきたかもしれない。「各」が「格」に通じて「至る」とし、神から人に至り、「咎」の義が生まれたとする解もある。が、少しばかり痒いところに手が届いていない気がする。
「各」はやはり「おのおの」で各人であり、皆とは違う振る舞いをして過ちを起こし、「禍い」や「災い」をもたらすというのはどうか。とすれば、今とはやや価値観が異なるかもしれない。
音については、会意字であるから、個別に見ていくほかない。こういった厄介なものは、一つ二つ特異な用例を実際に使っていくのが常道である。恥ずかしながら、私は熟語や句章でまとめると頭に残りやすいので、気に入った詩でも読んでいくとするか。

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