郡上郡衙(11) -安郡郷への道-

ぼつぼつ煮詰めて島谷地区にしぼってきた。島谷の中でも、地形から、舛形より東にあたると推定してきた。さらにピンポイントするには、郡衙と「安郡郷」の位置関係や交通路を確かめる必要がある。未だ穀見までの下川道が特定できていない現状では難航しそうだ。
簡単に振り返ってみると、九世紀中ごろ武儀四郡を分けて郡上郡が設置された。郡上郷、和良郷、安郡郷、栗原郷である。栗原郷が上之保にあたるとして、最も分かり難いのが安郡郷である。これまで口明方以北の吉田川筋と解されることが多かった。
私は西和良地区を安郡郷に充てている。主たる理由は二つ。
1 「和良の五保」のうち、和良の中心とは考えられない西和良が中之保という地区名になっている。
2 関連地名が濃密であること。「安郡」が万葉仮名とすれば「安」は「ア」、「郡」は「ク」である。「アク」とすれば、仮名では清音であらわされることが多いので、実際には有声音の「グ」も候補に入る。まずは「アク」「アグ」と読める。
「アグ」とすれば、「具」は『古事記』の仮名で、「安具」と表記されそうである。「安貢」の「貢」は仮名と見ることはできないが、「ク」「グ」「コウ」など多様な音に使われていただろう。「安光(アンクワウ)」はその派生ではないか。
以上、「保」から古くは和良郷に入らなかったと推定できること、西和良における「安郡郷」の関連地名が多くそれぞれ中世へ遡れそうなことを重視した。
さて、「安郡郷」が西和良とすれば、郡衙からどう行くか。わたしは凡そ四つのルートを考えている。
1 下川道で穀見へ向かうルートから分かれて尾根道をたどる。
2 武洞川を尾根まで遡り、堀越峠まで行く。
3 現在の乙姫谷をつめて堀越の峠から入る。
4 川佐ないし大洞から鬼谷を経由する。
実を言うと、2、3、4は少しばかり経験があるものの、1は全くの暗中模索である。ただ中野がかつて長良川の河川敷だったとすれば、穀見へは中野山を巻くルートがあった可能性が高いだろう。中野にある弘法堂の下を経由して中腹をそのまま巻いて行くか、歩危を越して川沿いまで下りたのかは分からない。いずれ踏査するつもりでいる。
1、2、3については、何らかの形で「安久田(あく-だ)」がサポートしただろう。安久田との関連が重視される所以である。4からは「熊石(くま-いし)」を経由する。ただ島谷からかなり離れているので、或いはバイパスだったか。また和良から安具へは「具間(ぐま)」から入る。少々穿ちすぎたかもしれぬが、関連地名ではある。

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