無力感
足元のおぼつかない老人なのに、山の中で悶えている。これまで大したことはできなかった。今になって何ができようか。ただただ、無力感にさいなまれる。
またフランスで、「イスラム国」による「テロ事件」が起こった。百名を超える死者が出ているという。新聞やテレビのニュースでしきりに報道されており、毎日睨めっこしているインターネットでも連日関連情報が発信されている。知らなければ穏やかに暮らせるものを。
まず、犠牲になった市民及び彼らに関わる全ての人へ哀悼の意を表したい。なぜ彼らが死なねばならなかったのか、フランス市民すら答えを見つけられない状態ではなかろうか。
事件直後に同大統領が「戦争状態」と定義し、非常事態を宣言した。彼の真意がどこにあるのかは別にして、テロではなく戦争行為と見做したことになる。とすれば、国家論に矛盾が感じられる。
フランスがシリアを中心に空爆しているのは、内戦状態にある同国の反政府勢力である「イスラム国」に打撃を与えるためである。名分論として、同国を国家とみなして攻撃しているわけではあるまい。まして市民を殺すためでもなかろう。
しかるに戦争状態を宣言したのは、弱体化した政権はさておき、イスラム国を国家と認めたことになりはしないか。これは単なる言葉遊びではない。
シリアは泥沼の状態にある。政権側、反政府側のいずれに加担するにしろ、列強が深く介入し、更に矛盾を激化させているように見える。その結果、多数の難民が出て、ヨーロッパにも押し寄せている。フランスによる空爆も、内戦の単なるかく乱要因の一つに過ぎないとすれば、フランスの大義はどこにある。
現状、国連は全く機能しておらず、解決する能力はない。が、絶望しても始まらない。平和への道程を描いてみるなら、イスラム国の存立基盤が宗教にありそうなので、まずイラク及びシリアにおける宗教指導者が前面に立つ時だと思う。
各派の指導者が一堂に会し、彼等の主張を議論し尽くすことが必要なのではあるまいか。彼等の宗教思想と統治の手法を、一つ一つ取り上げ、道理にかなっているのかどうか統一見解を出してほしい。
これに大義があるというのなら、決着がつくまで戦う他ないかもしれない。今後もこういった宗教組織が生まれ続けるだろう。
イスラム教とは相いれないと結論すれば、政権側と徐々に停戦に向かうのではないか。大国の介入を排除するには、選挙を念頭に入れ、近代国家を目指すほかあるまい。イスラム国としても、自ら国家だと主張するのであれば、体裁を整えていく他なかろう。政教分離は、彼らにとっても主要なテーマのはずだ。