ちば
話を大きくしないように、平仮名の題とした。千虎という地名を考えたおり(2016/09/05)、那比の「血取場(ちとりば)」に隣接する地が「ちば上ミ(ちば-かみ)」と呼ばれている点に触れた。隣接している点が大事で、両者が互いに通じていることを示している。「ち-とり-ば」の「とり」が抜けて「ちば」と呼ぶ。私はこの造語に普遍性があると解した。勿論、この一例だけで推測しているわけではない。
木尾(こんの)は郡上の最南端にあたり、美濃と接するところにある。郡上藩の出入り口として口番所がおかれた。その跡の南側に三体の石仏があり、その一つが白石橋付近の血取り場にあった馬頭観音であると云う。文化三年(1806年)の銘があり、血場(ちば)観音と呼ばれている。これもまた血取り場にあったので「ちば観音」と呼ばれていることになり、両者の関連に疑問を挟む余地はなかろう。
また郡上で言えば、やはり寒水に血取り場があり、これに関連して「ちば」を屋号とする例をあげた。
那比は幕末に馬の大産地であった。木尾はかつて藩境にあって交通の要衝であり、血取り場があったことからすれば馬産が盛んだったと思われる。また寒水にしても旧明方筋では気良と並ぶ産地と言ってよかろう。
これらから少なくとも郡上では、「血取り場」と「ちば」が通じており、馬産の盛んな地に分布している。さて今回は、以上から「千葉-県」の語源に迫ってみたい。次のような説があるそうだ。
1 「茅(ちがや)」が生い茂る土地が「茅生(ちぶ)と呼ばれ、転じて「ちば」になった。
2 葉が多く重なる意味で「ちば」となった。
3 浸食されやすい地に見られる地名「ちば」に因んだ。
4 潰れる意味の「つばゆ」に由来する。
1について、郡上では「ち-がや」の「ち」を嫌って単に「かや」や「あせ」とする例を述べてきた。2は根拠がよく分からない。3、4は共に崩壊地名ということで、ローム層が雨を含んで浸食され、丘陵が潰れるというようなことがあったのだろうか。それほど印象に残る例が思い浮かばない。
そう言えば、郡上と千葉は浅からぬ因縁がある。千葉氏一党の東氏が新補地頭として入郡したのは承久の乱後で、十三世紀初頭。彼らはまず「阿千葉」を拠点にし、それなりの城を構えたようである。
武家には馬がつきものなので、このあたりでも馬産を奨励したに違いあるまい。東氏は城を牧(まき)へ移したし、阿千葉の向かいは万場である。牧からそれほど離れないところに島馬場がある。もう少し千葉家の本貫地を追跡する必要があるにしても、「千葉」は血取り場に関連する「血場」を語源とするのではあるまいか。