感染症

報道によると、今年も老人施設でインフルエンザのため死亡者が出たという。大変なことなのだが、今まで心の奥にまで届いていなかったように思う。感染したことが少ないし、重大なことが起こらなかったからにすぎない。
だが実際に年を取ってみると、ごく身近な事に感じられる。免疫力も以前ほどではないだろうし、症状が悪化しやすくなっている気がする。
今年も厳寒期に入りインフルエンザが流行している。学級閉鎖の話も聞く。空気が乾燥するし、体を冷やすことが多いからだろう。受験の最中なので、心配な人も多いに違いない。
ちょっと前まで、私は風呂上りに孫の頭をバスタオルで拭く係をしていた。その時の経験では、空気に触れる外側はしっかり拭けても、なかなか内側まで届かない。ドライヤ-で乾かせば問題がないのかもしれないが、今も昔も手作業である。
この時期には夜遅くになると、頭皮に近いところで水分があるように感じる。拭き残しの水分が結露みたいな理屈で顕在化するのか、頭皮から汗として出てきたものなの分からないけれども、頭がスースーしてとにかく寒いのだ。決して髪の毛が薄くなったからでない。
毛糸の帽子を被ったり、綿入れを頭までかぶって寝るなどして凌ぐ。こんなことから、子供たちの頭がどうしても気になるようになった。小さい頃は機能していたが、残念ながら成長した今では、頭をごしごし拭くのを嫌われてやれていない。
インフルエンザは感染症である。今まで何となく感染症という語を使ってきたものの、恥ずかしながら、はっきりした概念がつかめていない。
専門知識のない私が定義できるはずもないが、「外部から人体に入ってきた細菌やウィルス、寄生虫などが引き起こす病気」あたりの印象を持っている。正しくは専門書などを参照してもらいたい。
感染症と言っても、エイズウィルスが免疫細胞を攻撃して様々な症状を起こすAIDSやハンセン病などもこれに含まれるようだから、非常に複雑で多岐にわたる。
『論語』に「伯牛有疾 子問之 自牖執其手 曰 亡之 命矣夫 斯人也而有斯疾也 斯人也而有斯疾也」(雍也 十章)という文章がある。「伯牛」が罹患していたのは「癩」だったと解されている。ハンセン病である。孔子が彼の手をとって、何を感じていたのかは分からない。同病は近頃やっと一般に感染症であることが明らかとなり、差別の温床であった法律も改正され、名誉が回復された。
AIDSを含めまだまだ課題も多いようだが、普段の努力で、誤解を解いていかねばなるまい。今更の感があるとしても、インフルエンザをきっかけに、概観だけでも感染症を振り返ってみた。

前の記事

文政年間の赤谷村

次の記事

納得と理解