雨再記
今年の梅雨頃に書いたのに頭から離れないので、また雨を取り上げてみる。だからと言って特別に主張があるわけではないが、ずっと気になっていることがある。
近頃関東から東北を縦断した台風は、長野県を含め甚大な被害をもたらした。再度お見舞い申し上げます。郡上では、台風一過とはいかないまでも、穏やかな秋の気配を感じている。ここ二三日は雨だが、例によって吉田川を眺めても、それほど水は出ていなかった。
「天」の音は「テン」、訓は「あま」「あめ」である。「天野原-振り避けみれば」では「あま」 、「天鈿女命」「あめのうずめのみこと」という要領である。
同じように「雨」は「ウ」で、「雨水」は「あまみず」、「雨漏り」なら「あまもり」だから「あま」、「雨降り」なら「あめ-ふり」ということになる。
偶然の一致なのかも知れないが、深いところで繋がっているような気がしてならない。
「天」が「あま」で、「天」と「海」が関わりのあることはつとに論じられており、若いころからなぜか近しいことを実感してきた。
「海(あま、たるみ)神社」は山陽電車の垂水駅だったかのすぐ海側に鎮座する神社で、よく目にしてきた。
その当時、なぜ「海」を「あま」と読むのか分からなかった。晴れた日の水平線は空の青、海の青が連続するような気がして、ただ何となく当たり前だろうと感じていた。しかし、「海人」「海女」がいずれも「あま」と読むのと整合性が取れなかったように記憶している。
ところが「雨」の方は「天」との関連が思い浮んだのはそれほど古い事ではない。「雨」が象形字だとご存じでしたか。
『説文』では「雨 水從雲下也 一象天 冂象雲 水霝其閒也」(十一篇下053)となっている。「雨」の上の「一」は「天」を、「冂」は雲を、「氺」は水を表している。古文もまた象形で「𠕲」となっており、雲から降る雨粒が強調されてなかなか面白い。私はこの形が結構気に入っている。
つまり雨もまた天の為せるもので、人に恵みも災いももたらす。空から降るのは何も雨に限ったことではないが、余程寒いところは別として、人は多く雨を思い浮かべるのではなかろうか。我々の先祖は土砂崩れや川の氾濫というような大自然の脅威を恐れ、大蛇がこれらを起こしているというような話をつくってきた。
逆に雨が降らずに干ばつになると、何らかの犠牲を神に供え、雨乞いしなければならなかった。いずれにしても、雨が我々の生活に直接かかわることを身に染みて知っていた。「天」「雨」共に「あま」「あめ」と読むのは偶然でない気がするのだ。
この時期、雨に当たると体が冷えてしまうので、しっかり雨具を用意している。