若い時なら誰しも反発するが、この歳になれば万感迫るテーマである。「家」という漢字を見ると、宀冠に「豕」でつくられている。「宀」は屋根など建物の覆いでよろかろうが、「豕」が良く分からない。
「豕」は「いのこ」「ぶた」、「音」は仮名で「シ」あたり。となれば「豕」が音であるとは思えない。
若い時には勢いがある。本貫地を離れ、流れ流れてこの地に着いた。結婚相手の都合で、故郷からはるばる遠く離れて暮らす人もおろう。私の場合は、殆どこの地とは縁が無かったのに、何故か居つくことになった。今となっては理由がはっきりしない。
親が亡くなると、段々故郷へ足が遠のくものらしい。幸い兄弟姉妹が多かったが、すでにこの世に残っているのはわずか。これもまた疎遠になりつつある。断腸の思いだが、距離を置く他なくなっている。
親の葬式で会って以来、もはや親戚との付き合いもないと言ってよい。血縁のみならず、なぜか姻族との付合いもままにならない。
これこそ人が族や家から離れ、個人として生きる姿とも考えられそうだが、もう少し上手に付き合っていけたかもしれない。
こうなってみると故郷の家や墓と縁が切れてしまい、感情の起伏が起きることもないので、なかなか過去を振り返る気にもならない。
「家」にはまた「宊」という形もあるが、古くからある字とは思えない。宀冠の下が「豕」であるから、これを動物の「いのこ」「ぶた」との会意字とみて、それなら下に「犬」を入れてもよいと考えたのだろうか。
これなら動物の小屋を連想できるので、「家」をありふれた「あばら屋」と解したことになるかもしれない。私が育った家は、借地の上に建てたあばら屋だった。貧乏していたとしても、子だくさんの末っ子として、甘やかされてきたのは間違いない。今更故郷を恋しいとは思わない。それでも、何かと懐かしいこともあるし自分の礎になってことは否定できない。
「家」の淵源を辿れば、豚などを生贄として神に供えた形らしい。会意字としても、家畜の小屋を連想するのはまずい。
「家」の「カ」という音について言うと、『説文』では「豭」(九篇下209)の省声となっており形声字である。恐らく秦漢代に「カ」と読んだことは間違いあるまいが、それ以前はどちらかと言うと「コ」に近いと思われるものの、主張できるほどの材料はない。
ただ「豭」は「豭 牡豕也」となっているので、姿の立派な牡の豚を供えただろう。家が男を中心にするのはこれからも分かる。当時は今にも増して男系社会だったことは否定できまい。

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