焼きそば

このテーマを選んだのにはちょっとした訳がある。昨日、例の如く友人宅へ寄ってみると先客が二人おり、色々な話が出てきた。終わりがけだったと思う、「文豪が日常のなんでもないものをどう描くかを想像するとおもしろい」と一人が言う。例えば彼らがカップ焼きそばについて書くとすれば、ギャップがあるので、逆に個性がよく出るかもしれない。僭越ながら我々も書いて見れば、彼らとの違いが判るのではないかというような意味あいである。
中々面白い意見ということになった。これを思いつくことも、面白がって皆が同意するのも遊び心満載で、彼らが教養豊かであることを示している。
私はこれについて書く約束まではしなかったが、何とはなしに始めてしまった。
但し、たまにカップ麺をたべることがあるものの、インスタント焼きそばを食べることはまずない。かつて食べたことはあるとは思うが、すでに記憶の彼方である。そこでハンデをつけてもらい、焼きそばについて書こうと思う。
昨日も焼きそばを食べた。我が家は薄切りの豚肉をあまり動かさずにこんがり焼き、小さめに切ったキャベツを加え、強火でさっと炒める。慌てなくても済むように中火ぐらいに落とし、麺を投入し、すかさず出汁をかけてほぐす。出汁の代わりに削り節でもよい。更にソースを多めにかけて、鰹の削り節や青のりをかけて終わり。
食べるのに流儀はない。若い時ならビールを飲みながらつまむこともあった。白ご飯と味噌汁や漬物とあわせて定食みたいな食べ方もする。これは関西人によくある取り合わせだが、受け付けない人もいるに違いない。
私はけっこう神戸の中華街へ出かけて焼きそばを食べることがあった。麺を高温の油でからっと揚げ、甘めに調理した五目炒めみたいなものを片栗粉でとろみをつけて上に掛ける。食べ始めの食感はポリポリ、サクサクという具合で、その内だんだん麺が柔らかくなる。よく行った店は広東風だったので口に合っていた。
八幡の焼きそばは色々あるようだが、愛宕町の「片桐」や朝日町の「大熊」が出していたカリカリに焼くものが知られている。
同世代の連中が学校帰りによく食べたそうで、ここから離れている人が帰郷した折に食べたくなる味らしい。ソウルフードと言ってよさそうだ。
大熊では頼母子の終わりがけによく頼んだ。豚肉とキャベツは余り入っていなかったと思う。沢山入れると豚肉なら油っぽくなるし、キャベツなら水っぽくなると言っていた。真っ黒になるぐらいソースを入れ、最後に強火で焦げ目をつける。
来たばかりのころはまさにカルチャーショックで、、焼きそばソースの味しかしないような気がして、それほど食べなかった。
それでも相伴しているうちに違和感が薄れ、段々いけるようになってきた。

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