続焼きそば

前々回に書いた「焼きそば」の続編である。先週二篇のエッセイが手に入った。一本はカップ焼きそばのキャラクターを設定して丁寧に手順を追ったもの、もう一本は作者個人の生活に根差しながら踊らずにまな板に載せたものといってよかろうか。今回はそれらのレポートである。どちらも間髪を置かず書き上げたらしいが、才気あふれる内容で、積み上げの無い私には届かない水準にある。
どうひねり出したところで実感のわかないカップ焼きそばだから、麺の腰、味付けや青のりの量感などまったく想像するよりない。ただ、焼かない焼きそばだからソースが命だとは思う。
メーカーによって、麺の太さやグルテンの具合が違うだろうし、ソースもそれぞれ渾身の味を目指しているだろう。厳しい競争にさらされている状況では、古典の座についたものを除けば、単に旨いだけでは忘れられてしまう。存分に個性を出して覚えてもらわないと始まらない。そこでキャラクターが必要になってくる。
それらしいキャラクターを設定するのは、ライトノベルでは基本の部類に入るらしい。
これがうまく行けば主題を自由自在に動かせるし、思うままのセリフを吐かせることもできる。ひとたびバーチャルリアリティーに入り込めば、その楽しさから抜け出すのは難しいという。最小限の縛りをクリアしさえすれば、楽しいことばかりである。自分が書きたくて書き、楽しめているなら、これ以上のことはない。
実感を得やすくするためにこのような設定をする手法は私には思いもよらないし、そのような技術もない。ただ読者を想定せざるを得ないのなら、書き手は最早このようなゴッドハンドは持ちえず、様々な条件に縛られよう。
もう一本は随筆家のエッセイと言ってよいものである。文字の選択から構成、盛り上がりから落としどころまで洗練されていてやはり私の手法を越えている。
普段から読者を目前に置く習慣があるからか、独りよがりのところがない。印象に残りやすいように短いセンテンスを積み上げていくのもおもしろい。
詩のような手法をとって、しかも音読に耐えられる。なるほどプロの技である。
さて、こうなるとカップ焼きそばを食べたくなったかが気になる所でしょう。私はお菓子や料理など口に入れるものでも、目新しいものを避ける習慣はない。数年前から我が町内にインド人によるインド料理屋が開店しており、もう結構な回数通っている。
だがさすがにこの歳になると、変わった料理に出くわすことが少なくなった。カップ焼きそばは結構ハードルが高い気がしている。三食のルーティーンに割り込むことはむずかしいし、おやつに食べるには量が多い。若い時ほど腹が減らない。
一人飯の時に、一念発起して、食べてみるかというぐらい。

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