ゲーム

ゲームと言えば色んなことを思い浮かべてしまうが、ここではスマホなどのゲームのことである。今や子供のみならず大人も楽しむ。テレビゲームの出初めだったかテトリスや「ぷよぷよ」などを少しはやったけれども、壮年期からはとんとご無沙汰している。私がこの歳になって又やろうという訳ではない。

ここのところ私はまた囲碁を打つようになっている。週二とか三で、仕事の始まるまで一日二三局打つ。かつてオンラインの碁もやったことがあるが、マナーの悪い人に出会って一気に興味を失っていた。

私が碁を覚えたのは学生時代で、学生寮に居た連中が打っていたので何となく興味を持った。しばらくは手ほどきも受けず、ただ対局を眺めているだけだった。そのうちルールも分かるようになって、打ち始めたのはかなり経ってからだった。それから打ったり打たなかったりして五十年が過ぎた。今となっては、かけがえのない趣味の一つとなっている。

この間ゲームばかりやって勉強しない高校生に、「ゲームの時間を減らして、じっくりものを考える時間をつくり、少しずつ勉強をしたらどうか」というようなアドバイスをしたことがあった。かなり強い口調で言ったらしく、その子にしては珍しく抵抗して、「今まで続けてやってきて、オンライン上に友達やら仲間がいる。簡単にやめるわけにはいかない」というような主旨のことを言う。

私としてはそれでも高校生の本分は勉強して一人前になる準備をすることだろうと思い、互いに平行線のまま妥協点を見い出せずにいた。

しばらく経過した後気になったので「ゲームをいつごろから始めたの」と尋ねてみたところ、何と「幼稚園のころからです」とおっしゃる。彼にとっては物心のつき始めたころからであり、途中ゲームの種類は変わっても継続してやっているのだ。人生の割合で行くと、私の碁より長くやっていることになるかもしれない。簡単に止めたり減らしたりすることがどれ程難しいのかやっと分かった。

となれば、あまり強く迫っていく気になれない。ただ彼が週末を中心にではあっても、朝から寝るまでずっとやっているというのは納得できない。ゲームの中での付き合いや同年代の人としか話せないというのも、ゲームにのめり込んでいるからではないか。

勉強が全くつまらないというものでもない。異なる文化との出会いもあるし、実験や考察に依って経験の幅も奥行きも広げられるし、論理を鍛えることも出来る。彼がこれらの一つでもよいから興味を持てるようになれば、少しずつでも面白味が出てきて、ゲームと同じ水準で勉強を日常化できよう。

じっくり取り組んで、気持ちを外に向けるようにして欲しい。彼を待ち受けているのは性別も年代もバラバラの社会だから。                                               髭じいさん

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