家とうち

ちゃんと意識して使い分けているという訳ではない。が、何となく違和感を持つことがあるので少しばかり整理しておきたい。

私は高校までは一軒家で生まれ育った。大学は寮で結構長く暮らした。郡上へ引っ越してからは何年か2DKだかのアパートに住んでいて、それから町中の借家で暮らしている。細かく言えばもう少し複雑になるが、このテーマならこれで分かってもらえると思う。

少年期なら「うちに帰る」と言えても、中学高校あたりまでいけば「家に帰る」になっていたと思う。「うち」では家族の顔が浮かび、気恥ずかしく感じるようになってきたからだと思う。

寮は最初四人部屋に入り、それから二人部屋へ移った。一部屋で数人が使っているわけだから、「家に帰る」とも「うちに帰る」とも言えない。自分の空間といえばベットと机ぐらい。大きな部屋の時にはプライバシーすらなかなか保てない始末で、細かい私事を求めることができない。二三年して入った二人部屋にはカーテンの仕切りがついており、少しは自分の世界を持てるようになった。これなら「部屋へ帰る」というような気分が出てくる。

アパート暮らしでは又やや異なる。子供もいたので決して自分の空間は取れなかったが、「家へ帰る」とまでは言えないとしても「住処へ帰る」「うちへ帰る」気分が出てきたかな。それにしても気恥ずかしくて「うち」とは言えなかったと思う。今思えば毎月「家賃」を払っていたのだから、「家」という要素があったかもしれない。

町中の借家暮らしが長くなってくると、建物として自分の思うように使えるわけだから、「家」という感覚が少しずつ出てくる。

家(いへ)の語源は幾つか考えられているものの、定説となっているものはないそうだ。私は「寝戸(いへ)」「居戸(ゐへ)」あたりでないかと推測している。「い」は「寝ること、又は接頭辞」ないし「居ること」という名詞で、「へ」を「戸」に解する。

「戸」は「と」や「ど」で読む事が多い。但し「神戸(こうべ)」「八戸(はちのへ)」という具合に「べ」「へ」に訓むことがある。淵源は「部曲(かきべ)」「部民(べのたみ)」の音だったが、戸籍を整備するにあたって「戸」を頻りに使うようになり、「かみべ」「かんべ」「こうべ」から「かんど」「がんど」「ごうど」などへ音変化したのではあるまいか。従って「家(いへ)」の語源は、律令制が整備される以前へ遡れるのではないかと感じている。

男女二人が暮らした都会の狭いアパートへ帰る時に「家へ帰る」とは言いにくいし、峠から遠くに親の居処が見えれば「親の家」であって、「親の居る私のうち」を「親のうち」とは歌えない気がする。                                              髭じいさん

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