くご(上)

くだらない人間は下らない考えしか湧かない。下らない考えしか湧かないから下らない人間なのかもしれない。私は、若いころ、思想やら哲学で生きていけると考えていたことがある。ただ、実際にはこんなもの何の役にも立たないことを薄々知っていたように思う。子供ができ生活の柱を立てる必要に迫られていたのに、脳天気にもどこで暮らすかすら決めていない体たらく。二十代後半のことだった。

一人だったかどうかすら覚えていないし、どういう経緯だったかもうはっきりしないが、旧明方の気良口辺りにあった「くご」という宿に泊まったことがある。うる覚えながら、屋号を「國後」にあてていたように思う。友人たちが吉田川上流部で鮎かけをし大漁だったので、わざわざ宿まで持って来てくれた。どうやって食べたか記憶にないものの、私にとっては珠玉の経験だった。この辺りで郡上に引っ越すと決心していたかもしれない。どこに住むとか、仕事をどうするとかなど何も決まっていなかった。何の根拠もなく、何とかやっていけそうな気がしていた。だめならやり直せばよいだけで、新生活への思いが不安を上回っていたように思う。

それからはや四十五年。途中本貫地へ数年帰っていたが、縁があり再度郡上へ引っ越してからでも三十年近く経っている。「くご」についてはそれから考え続けているけれども、まだ結論は出ていない。一区切りをつけたいと思うので付き合ってくれると有り難い。

明宝大谷に「クゴ谷」、巣河に「久後屋」、白鳥干田野だかに「大久後」という小字がある。美並にも「クゴ」という字があるのでそれ程珍しい地名という訳ではない。「クゴ」を単語と考えると、萱に似てこれより背の低い多年草つまり菅を指すかも知れない。見た目は似ているが、チガヤと違うのかどうか知らない。蓑を作る材料に使っていたらしい。この場合の「久後」はあて字ないし仮名のような使い方になる。

「巣河(スゴウ)」は恐らく「菅生(すかふ)」に辿れるだろうし、「クゴ」を商う大棚があったとすれば「久後屋」という字ないし屋号があっても不思議ではない。

またこれで作る蓑を「ケラ」と呼ぶことがあるので、「気良」を関連地名と解釈できるかもしれない。「ケラ」は又たたら製鉄など金属の精錬で使われる用語でもあるから、これにも配慮が必要である。

明宝にはさらに鎌辺に「和後(ワゴウ)」という字があり、同じく「後」をあてる。この他、石徹白にある「根后(ネイゴ)」「水后(スイゴ)」など「后」と表されているものと通じるかもしれない。「後」「后」は漢語としても仮借字として通用してきた。本邦でもまた同様で、古くから「后」が「後(うしろ、あと)」に代用されてきた経緯がある。                                               髭じいさん

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