釣游

親の存命中はこまめに故郷へ帰っていた。変わったことをやるわけでなくても、見慣れた部屋で寝て、慣れ親しんだものを食べるだけでも時計の針が戻ったような気になった。

子供の時によくやったという訳ではないが、池や磯で釣りをしたのを覚えている。すぐに思い出さずとも近くを通るだけで記憶が鮮明になったりする。私の本貫地は明石で、生れた時からあちこちに池があった。ビー玉やベーゴマでは真剣勝負をしていたが、池ではなぜか一人で遊んでいた。

私が通ったのは小池と呼ばれていたのに結構大きな池だった。これに繫がる小川があったが、池へ流れ込んでいたのか、池から出ていたのかもう記憶がない。西北方から池につながっていたような気がするので恐らく流れ込んでいたのだろう。池に近いところにはザリガニが沢山生息しており、脳裏に深紅の映像が残っているので、アメリカザリガニだったと思う。これが鮒や鯉の餌になった。

ザリガニをどうやって捕まえたか記憶がない。かなり強い草で輪を作り引っ掛けていたか、手づかみだったかも知れない。ただし蛙を引っ掛ける方法と混じっている気もする。捕まえたザリガニの尾を剥いて、これを餌に更にザリガニを釣ったことはしっかり憶えている。

これで餌を十分に用意し、いよいよ鮒や鯉釣りだ。私がやったのは、簡単な竹竿にそれなりの仕掛けをつけただけのもので、今の子供たちが使っているような筋の良いものではない。釣りと言うのも恥ずかしいぐらいである。

一人池の土手に座って竿を出していると、ウキが小さくツンツン上下に動くものの大抵はモロコがつつくだけで、大物が掛かるかかることは少なかった。ただ、モロコが小突くのと鯉の引きは似ているところがあって、小さな引きを我慢しないといけない。たまにグイっと引き込んで鯉が掛かることがあった。池の魚は誰が釣ってもよかったが、鯉はリリースしていた気がする。田んぼ仕事が終るころ、池浚いでとった鯉を売っていたからだと思う。

たまに磯の方へも出かけた。やっぱり長目の竹竿だったと思う。餌はちょっとした秘密の場所があって、ゴカイを集めてから行った。港に近い突堤から岩場へ糸を垂らすだけで結構アブラメやベラが掛かった。調子がよいとシマ鯛やチヌが掛かることもあったが、殆んどは糸を切られてしまい、実際に大物を釣り上げた記憶がない。

「釣游」という言葉に出会った瞬間、子供の頃釣りをしたことが思い浮かんだので書く気になった。釣游は釣りをして遊ぶ義で、転じて故郷を懐かしむことを言う。韓愈の「送楊少尹」序に「某樹 吾先人之所種也 某水皃丘 吾童子時所釣遊也」とあり、この場合「遊」「游」は通じている。                                               髭じいさん

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