会津(かいつ)の語源

前々回に会津は小河川が地域の川に合流する場所が多いと書いた。これが語源にも関連するように思われる。今回は「津」を別の観点から楽しんでみたいと思う。

「スイカ」なら「西瓜」で、「ツイカ」なら「追加」で間違いようがなく見える。ところが「ズ」「ヅ」となるとなかなか厄介だ。

「大豆」ならどう読みますか。「ダイズ」であって「ダイヅ」でないし、「頭痛」は「ズツウ」であって「ヅツウ」ではない。本来「豆」「頭」は「ヅ」であって「ズ」とは読めないはずなのに慣習音として使われている。

「ジ」「ヂ」「ズ」「ヅ」は四つ仮名と言って、解釈が難しくいつも頭が痛くなる。それぞれ「ジ」「ヂ」、「ズ」「ヅ」が時代や地域によって発音が区別できなくなったことが原因にある。

「ズ」「ヅ」はだめでも、「ス」「ツ」はちゃんと判別できるではないかという意見があるかも知れない。ところがそれも怪しいのだ。

「つ」という平仮名の原形が何だかご存知の方も多いだろう。元の漢字を崩して仮名にしたものを変体仮名と言う。「つ」は「州」「川」を崩した事になっている。

ところが「州」にしろ「川」にしろ、サ行の音であってタ行ではない。現代の感覚ではサ行は摩擦音、タ行は打擲音だから同一視できないが、「つ」の仮名が成立する際に「州」「川」を打擲音に近い発音をしていたか、「つ」自身が摩擦音に近かったかとなる。

いずれにしても、「州」「川」が「つ」という仮名の原形である事実は変わらない。そこで「会津(かいつ)」を「会州(かいつ)」ないし「会川(かいつ)」と解してみたいのである。

これまで大伴家持の「わがせこが ふるき可吉都の桜華」(『萬葉集』卷第十八 4077)などから、「可吉都(かきつ)」を「かいつ」の語源とすることが多かった。これ自体に異論はない。

ところが垣内(かきうち)が約転して「かきつ」となり、更に音便化して「かいつ」になったという解釈には違和感がある。私は「垣内(かきうち)」が一気に「かきつ」になったとは考えにくい。

例えば「かきうち-つ」が「かきつ」になったというような説明に魅力を感じる。「垣内が先」が「垣先(かきさき)」(八幡 吉野)、「垣内が本」が「垣本(かきもと)」(白鳥 向小駄良)というような要領である。これならば「つ」が「州」「川」であった事と相通じるし、用例とも合致する。

四つ仮名と二つ仮名は音韻のみならず歴史学においても重要な意味を孕んでいよう。「州」「川」を「つ」に崩すのは「ズ」「ヅ」が区別できないか、或いは判別の難しい人達が仮名にしたということで、彼らがこれらをしっかり発音した人の中へ入り込んできた過程を想定できる。この地に関して言うと、白山信仰で重要な「ヲナン-ジ」「ヲナン-ヂ」神の問題とも共通する課題である。                                               髭じいさん

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