瘡(かさ)と笠

瘡はかさぶたの「かさ」であって、本来笠とは関連が無いように見える。ところが地名に使われると「瘡」字は稀で、「笠」「傘」などに変換されるようだ。「かさ」が盛り上がって笠のようになることから語源が近いと考える説もあるが、今回は別の視点から考えてみよう。

郡上美並大原に「瘡神」という小字があり、私の知る限り「瘡」という字を使っているのはここだけである。これに対し下川筋の美並上田に「笠神前」、八幡相生に「笠神」という小字がある。洞戸筋の奥洞戸にもやはり「笠神」があり、現状確認できていないけれども美濃市や旧東村などにもあるようだ。

瘡は「瘡神」まで昇華しているので、「かさぶた」というような軽い扱いはできない。天然痘又は梅毒を指していることは間違いあるまい。これは笠についても同じように考えてよさそうで、容易ならざる命名である。

「笠神」の分布をみると、八幡以南に偏っていて何等かの必然性が感じられる。私は高賀山信仰に関連し、この地域が牛を嫌っていたことに関連するのではないかと推測している。これら牛馬の飼育が少ない地域や時期では、自然免疫を持つ者が少なかったのではないか。これでよければ天然痘の「かさ」だったことになる。

もう一つ気になることがある。これらの地域に限らないが、これらの地域にも「比丘尼」という字に対応することがある。各地の若者が比丘尼宿へ通ったという話も残っている。また美並白山には「辨在(べざい)」という小字があり、辨在船では大きすぎるので、やはり娼婦宿があったとも解せる。これらによる接触感染だったとすれば、梅毒だった可能性もある。

いずれにしても後遺症として瘡の目立つことを忌み、神名として「瘡」の字面を嫌って「笠」にしたのではなかろうか。

郡上でも笠のつく地名は少なくない。美並勝原や白鳥石徹白の「笠切(かさぎり)」、八幡河鹿の「笠村(かさむら)」、八幡勝皿の「笠掛洞(かさかけぼら)」、初音上之洞の「笠ドヤ」などは、天然痘や梅毒に感染した人たちの隔離に関連する地名かもしれない。

和良筋では鹿倉、土京の「笠垣内(かさかきうち)」が気になる所で、私はこれらの感染症に関連すると解している。

八幡河鹿の「西の笠(にしのかさ)」、八幡那比の「上野(かさの)」、八幡寒水の「重根洞(かさねぼら)」などの中にも関連地名があるかも知れない。

現状、八幡西乙原の「笠野」は地形地名のような気がする。また高鷲鷲見の「笠屋作(かさやさく)」、同鮎立の「笠屋田(かさやだ)」は「笠屋」という屋号を基にしてように見える。

かくの如く、地名はそれぞれ一つ一つ歴史を抱えているので一般化は難しい。                                               髭じいさん

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