和良(わら)

ここのところ地名の話が多くなって、どうかなと思っている。頭が固くなってきたことは自覚できているし、他に触れてみたいテーマも結構ある。それなら色々やってみてから地名に戻ればよいではないかという意見もあるだろう。まあその通りだけれども、頭のどこやらにこびりついて離れない。ある程度洗い流さなければ、前に進めないように思えてならない。

こちらへ引っ越してから色々あった。一時期故郷へ帰ったこともあったが、再びこちらで暮らし始めてからでも二十五年ほど経っている。長年やっていれば、たたき台になることも出てくる。このままにして消えて行くのがちょっと残念な気もする。今のところ地名の話を書くところはこのサイトよりないので、今回もまた同じような話になってしまう。

只、これは自分の中でじっと温めてきたものなので新鮮なものとは言えるし、謎解きの部分があるので楽しんでいただけるかもしれない。

さて私が和良という地名を聞いてからほぼ半世紀になる。郡上に住む者なら誰しも耳にしてきた郷名である。私もまた聞き始めからずっと気になっていた。

始めは何とかなりそうだなと感じていた。それなりに幾つか仮説を立ててきたし、他の人の意見も聞いてきたが、残念ながら腑に落ちるものがなかった。かくの如しくして、中々糸口がつかめない状況が続いた。すでに捨ててきた仮説を書くのも失礼かなと思うので、私の中で語源として生き残っているものを披露すると次の二つになる。

1 蕨生(わらひふ、わらびを、わらびょう)、「蕨(わらひ)」

2 原(はら)

同好の士なら見当がつくかも知れぬが、突然こんなことを書いても何のことか分かる人は少なかろう。和良で名の知れた神社は数あれど、九頭の宮は最も大きなものの一つである。この宮と越前は関わりが深そうだ。これについてはいずれ書くとして、今回は語源を探るだけなので、大まかに音について整理してみよう。

越前大野に「蕨生村」があって現在「わらびょう」と読まれているが、このコラムを読まれている方なら、「蕨-生」で「わらひ-ふ」が原形だと洞察されるのではなかろか。中世史料に「和良比婦」と記されるものが対応している。

また「わらびを」「わらびよ」とするものもある。「蕨生」が「わらひふ」から「わらびょう」へ拗音化するのは「丹生」が「にふ」から「にゅう」になるのと同じ。そしてこれらの語尾変化を嫌い「蕨(わらひ)」から更に「ひ」が消えたと考えるわけだ。私としてはこれを中心に組み立てている。

原(はら)については、河原(かははら-かはら)が「かわら」となるように、「は」が「わ」になることがある。和良の広々した原を思えばこれも捨てがたい。                                               髭じいさん

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