若者の郡上踊り
郡上踊りは郡上で愛されているだけでなく、遠方の方にも人気があると言ってよかろう。私には、世代を超え様々な年代の人が踊りの輪に入っているように見える。
郡上では運動会や体育祭などで郡上踊りが披露されることが多い。殆んどの子供達が踊れるようである。音頭が身に染みて行くのだろう。
徹夜踊りだけでなく、週末ごとに催される踊りの輪に欠かさず出向く人は、この地で踊りスケベと呼ばれている。余程のことがない限り、休むことはない。皆勤賞がもらえるほどで、こういった人が私の周りにも何人かいる。
足や腰がおぼつかなくなってしまった人なら、週末ごとに屋台の周りで踊ることも少なくなってしまう。だが彼らも踊りの音頭が聞こえてくれば、体が躍り出すことはなくても、身に染みるように感じるのではなかろうか。
九月に入り踊り納めが過ぎると、踊りスケベ達の元気がなくなっていく。一年を思えば正月や彼岸など他にも様々な節目があるのに、彼らの落ち込み方を見れば、これが最も大きな区切りになっているのではなかろうか。
毎年、中学生が中心となって音頭は勿論、太鼓、笛や三味線などを伴奏する日がある。私は殆んどこれをパスしてきた。今年もあまり気が進まなかったが、顔見知りの子が太鼓と笛をやっているというので、出かけてきた。
近くで聴くと、なかなか堂に入っている。太鼓も安定しているし、笛も体全体で吹いている様子。二曲、三曲とやっているのを間近に見て、何だか頼もしく感じた。長年やっている人から見れば、まだまだだろう。だが、若者が順調に育っていることは間違いあるまい。これが伝統というものだろう。
ただし、私は郡上踊りにそれ程のめり込んでいる訳ではない。若い頃にカワサキや春駒などを下手くそに踊ったことはあるが、三十を過ぎたあたりから全く踊らなくなってしまった。
私の住む町内が主催する日もあり、朝からお地蔵様の掃除をしたり、旗や幟建てなど結構仕事がある。踊りを楽しみにしている人を思い浮かべながら、手を抜かずに準備をしている。まあ言えば裏方をやっている訳だ。
若い時なら足腰が痛むこともなかったが、近頃ではすっかり筋力も落ちたし、長いこと立っているだけで腰が重くなってしまう。力仕事がつらくなってしまった。
これは私だけではなく周りもそうで、踊りを主催すること自体が難しくなっている。子供達があれほどしっかりやっているのに、年寄りが弱音を吐くのはよくないとは思う。が、実際に体が思うように動かなくなっている。口先だけ煽っているのもどうかと思うし、町内を自分達の力だけで立て直すことも難しかろう。最後のご奉公、まあ外部の人に助けを求めることが無いようにしたいものだ。 髭じいさん
