『説文』入門(63) -「角力」-

国技といえば、「相撲」を思い浮かべる人も多いだろう。「相撲」は、表記からすれば「あい-うつ」だが、一般に音から「すまふ」が語源とされている。ただし、この字をあてた経緯が分からないので、前者もまた考慮に入れておく必要がある。後者とすると私は、「すまふ」は「す-まふ」で、地鎮の舞を思い浮かべている。
これらの他にも源流があるかもしれない。「相撲」はまた「角力」と表されることがある。今回はこの視点から探ってみよう。
『説文』で「角」は「角 獸角也 象形 角與刀魚相佀」(四篇下325)となっており、獣角の象形だから、直接には「角力」と関連がなさそうだ。「佀」は「似」で、「相佀」は「相似」と解してよい。従って「角與刀魚相佀」は、字形が「刀魚」に似ているというぐらい。
『説文』で云うと、「斠 平斗斛量也 从斗 冓聲」(十四篇上230)が関連しそうだ。『廣雅』では「斠 量也」(巻三下 釋詁・49)とあり、王氏念孫は『禮記』月令の鄭注「角 謂平之也」及び『管子』七法篇などを引いて「角 量也」だから、「斠」「角」が通じているとする。段注では「角者 斠之叚借字 今俗謂之校 音如教」とし、「角」「斠」を「古岳切」(仮名音で「カク」辺り)で同音仮借と解している。
以上、「角」には古くから「量る」「比べる」「試す」などの義があったことが分かる。
『説文』の記述を確かめる方法の一つとして『一切經音義』を使うことがある。だが、私はかなり緊張感をもって使っている。誤った引用も相当あるからだ。版によるのかもしれないし、僧侶の関わることが多かったからもしれない。仏教関連の書には無理な造字や通字が多いし、減筆や略体でも原形を留めないほど変形したものもかなりある。
ただ、ここで引用している三例全て「説文 平斗斛也」だから「量」が抜けているものの、徐鉉本や『廣雅』疏證の引用と同じであり、段氏が徐鍇本を踏襲している点と比べられ有益である。
ここまでくれば「角力」が「力を量る」「力を比べる」「力を試す」義になることが確かめられる。とすれば、「相撲」の定義とは異なっている。そう言えば、最近の<sumo>は「角力」の傾向が強くなって、「相撲(すまふ)」の定義には合わなくなってきているような気がする。ただ、私は力の伴わない技は単なる踊りに過ぎないと考えているので、ちょっとした熟練やさじ加減の差にすぎないのかもしれない。
今では国技としてサッカーや野球などの球技、柔道や空手などの格闘技を思い浮かべる人も多いだろうが、フェアに競技するなら、「角力」もまた八百長事件を乗り越えて生き残れるかもしれない。

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