未来と過去

私たちは云うまでも無く今を生きている、と思っているが、現在の形は過去の蓄積である。これはもう、ありとあらゆる関係のしがらみの蓄積である。このように考えると、簡単に「今」を捉える事が出来なくなる。この事は森羅万象すべてにあてはまる。今の自分の境遇も、この世の中の「かたち」も全て、過去を引きずっているのである。原因と結果の絶え間のない繰り返しの中でかたちづくられた「今」が生きているといえる。一方、明日がくることを私たちは疑わないし、そんなことは意識もしない。しかしこれを前提にしなければ生きては往けない。そしてこの「明日」も単純に「あす」とは云えない。多くの「あした」がある。何日か先の納期に追われる「明日」もあれば、子どもたちの将来を思う「明日」もある。この国のグランドデザインを考える「明日」もまたあるだろう。人間にとっては「過去」と「未来」は無くてはならないものなのである。だとすれば、より深い「過去」を考えることは、より遠い「未来」を想うことに続くことになるのではないだろうか。

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