テロリズム

 一人殺せば犯罪となり、戦争で千人殺せば英雄となるという言葉がある。私的な動機で犯すことと、国家の名のもとに犯すことではこれほどの違いがある。アメリカ合衆国で起きた未曾有の事件はそのいずれであるのか。事件直後ブッシュ大統領は、これを21世紀最初の新たな形の戦争であると断じ、敵に対して容赦のない宣戦布告を表明した。また、アメリカの有力者は、パールハーバー以来のアメリカの屈辱的事件であり、真珠湾を襲った連中と同様な惨めな結果になるゾと発言した。パールハーバーは確かに戦争の始まりでであったが、この度の事件と同列とした見識にはあきれるばかりである。ビン・ラディン一派をすぐに名指しし断定した、その速さに驚くとともに、現在の経済不況の状況において―アメリカ産軍複合体の―この事件を経済復興のバイアグラとしたい意図を感じるアナリストもいる。このテロの意図は何であるかをまずは考えるべきだ。アフガニスタンがこのことで勝利するとは考えられない。筆者は、オウム真理教と同様な世紀末的なパラノイア現象と観る者である。世界を混沌と恐怖の闇に陥れることを目的とする、イスラムの鬼子が起こした事件と考える者である。(イスラム教は厳しい自然の掟に従う平和な教義であると考えている。)とすれば、アメリカナショナリズムの即自的対応をそのまま受け取れば、まさにテロリストの思う壺なのではないだろうか。愛するアメリカが、21世紀にふさわしく、新たな「犯罪」にたいして、冷静に断固として対応し、処理のお手本を示してもらいたいと念じている。三流国に成り下がらないことを希望する。

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