執念の男

前回の筆者のコラムで、伊能忠敬の充実(自己実現)した生き方について触れた。今回も測位に貢献した男の話である。彼の名はジョン・ハリソン(イギリス人1693-1776)という。伊能とほぼ同時代人である。時は大航海時代の真っ只中、当時の船乗りたちは大海原で自分の位置を知ることに困難を極めていた。緯度はともかくも、経度(東西方向の位置)については丸太(ログ)を流して流れ去る速さを数えて一日の航行距離を推測する程度でしかなく、不安な気持ちで大洋を渡っていたのである。(これが、現代まで続くログブック(航海日誌)の由来である。)1714年イギリス議会はこの経度を正しく測定するシステムを確立したものに賞金2万ポンドを与えることを議決した。ハリソンが21歳の時であった。彼は貧しい時計職人であったが仕事に対する情熱は人一倍あり、揺れる船の中で正しく時を刻む時計の開発を決意した。長い試行錯誤の結果、4号機の完成でようやく自信を持って賞金を申請した。この時すでに47年の歳月が流れ68歳になっていた。それでもまだ懸賞は有効であった。イギリス政府は彼の経度儀(すなわち時計)をテストした。その結果は予測をはるかに上回るすばらしい結果であった。にもかかわらず、クレームをつけて賞金は四分の一しか支払われなかった。その理由は彼が一介の時計職人でしかなく、貴族でも学者でもなかったからで、大英帝国の権威が傷ついた事に拠るらしい。それでもくじけず改良を重ね、さらに12年後、彼が80歳になって、ようやく賞金の全額を手にすることができた。そして彼はその3年後83歳で没した。ちなみに、伊能忠敬が31歳のときであった。その頃の日本には経度儀もそれを必要とする船もなかった。そしてハリソンの死後約90年のちイギリス艦隊が日本の海岸線を測量しようとして、伊能地図をみて、測量の必要なしと判断したことは前回のコラムに書いた。ハリソンが作った時計は画期的なもので、超軍事機密として扱われた。現代のGPSに匹敵するものであったと言えよう。今日では月に数十秒しか狂わず1年以上も動き続ける時計がお菓子のオマケに付いて来る。たまには先人の偉業を偲び、今の状況を乗り越える勇気を持ちたい。

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