ハーモニー

 4月1日、桜花爛漫洛南の真宗本廟(東本願寺)に高らかに念仏の讃歌が響いた。ほぼ満堂に参詣者とともに、宗祖親鸞聖人ご誕生会慶讃音楽法要の開始である。160名の混声合唱団、オルガンとティンパニーの呼吸の合った演奏と相和して、御影堂のざわめきを一瞬にして凛とした空気に変えた。 親鸞聖人(1173~1262年)の829回目のご誕生を「今現在説法」まします御真影に真向かって聖人御製作の5つの御和讃と「南無阿弥陀仏」の大合唱で奏でるのである。「親鸞聖人ようこそお生まれ下さいました」と、聖人の教えに遇い得た同朋がその喜びを音楽することで讃えんとするこの法要は、すでに40数回を重ねる。
 今年は、我が寺の蓮如上人五百回御遠忌を機に結成された合唱団の団員17名も3日間の研修から参加した。指揮のいづみさん、伴奏のひとみさんによる熱心な指導は、境内に残る雪山の残る2月初旬から続いた。小学生3名、高校生5名、そして還暦の私まで年齢差は大きい。しかし、合唱の素晴らしさは年齢・性別・性格・能力の違いを越えて一つになれることである。それはまた、同朋社会の顕現を目指す方向を示唆しているようである。女声のソプラノ・アルト、男声のテノール・バス。一人一人が自分のパートの特性をわきまえ、その自己の分限をキチンと果たす。さらに他のパートの音を聞きつつ調和への努めを怠らない。指揮者が意図する表現、ことばの心を指揮棒に集中して全員で一つの響きを創出する。曲は美しいハーモニー(調和する音)となって、歌う一人一人の魂を揺るがす。合唱するものの感動であり、音の妙味であり、歌う共同体の喜びである。まさに”宮商和して自然なり”の世界を彷彿させてくれる。
  だがしかし、160名からなる合唱団のまとまりがそんなに上手く行くことはない。歌はともかく、ひな壇に立つことだけを目的にしているような人。私は歌えますと、強烈にちりめん震いで突拍子もない声を出して自己主張する人。食事の順番を平気で無視する人など、不協和音も聞こえてきた。
 でもそこからまた、美しいハーモニーを生み出すために大切な一人の私のあり方が問いかけられてくる。

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