還暦を迎える

 還暦を迎える予定の私には、60年を経たという実感があまりない。無意に過ごして気づいてみれば60年の月日、実感がないのは今日を生きたという生活の充実が乏しい毎日の結果の連続であったためであろう。 ところで保険会社の人は、本人よりも確実に年令を計算してくださる。50歳から始めた毎月2万円強の養老生命保険も、10年目を迎えて継続か否かの通達が、早くも回答をせまってきた。1、500万円の死亡保険の特約は、今後10年続けるとなると、今までの倍以上、毎月5万円弱の支払いとなるらしい。60代に入れば死亡確率がグンと高くなるからであろう。妻は、今の家計ではとてもエライからやめようと言う。私はそれでは何だか割り切れない。『虎は死して皮を残す』というが、「俺だってお前や子どもたちに少しは感謝されたいから、せめて1、500万円ぐらい入るようにしておきたい」と言ってはみたが、それは”生きてきた”という実感と同じくらい、自分が妻子に与えてきたものが自信を持って語れるものがないからでもある。そうしたら妻の言葉が返ってきた。「お金を残してもらわなくたって、私達は今まで充分あなたから大切なものをいただいてきていますよ」と。・・・何ともうれしくもありがたい言葉であろう。しばらくは何十年ぶりに聞く愛に満ちたその言葉に酔いしれていた。しかし、時がたつにつれ「あれは女房の本心であろうか、保険を解約するための方便ではなかったのか」と、小心者で疑い深い私は考え始めている。愚かしいことである。皆さん、愛する妻子のために我が身が無常の風にさそわれることともなれば、その点よろしくご配慮下さい。

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