「時差ボケ」

 パリから戻って一週間になろうというのに(8月7日)まだ時差ボケのまっただなかにいる。フランスには一昨年からこの時期に行くようになったのだけど、回を重ねるごとにひどくなるようだ。
 スズメバチに刺される人が一度目より二度目のほうが症状がひどくなるのと似てる。なにか時差ボケに対する抗体ができてしまって少しの時差にも過剰に反応する時差アレルギーのような感じだ。これは吉良家全体の症状でもあり、小峰公子(作詞家、歌い手)も五歳になる息子もそれぞれいろんな目にあっている。
 ぼくの場合、問題は午後だ。3時をまわるとハチミツみたいな濃厚な眠気がやってくるレコーディング中だろうと打ち合わせ中だろうととろーりじんわりと僕をつつみこむ。普通の睡眠不足ではありえない強力なヤツだ。レコーディングは中止を余儀なくされ、打ち合わせは支離滅裂になる。しかし、この眠気に身を委ね、ずぶずぶとハチミツに沈み込んでいくのはそれは気持ちのいいモノでもある。困った困ったと言いながらこの状況を楽しんでいる節も多分にある僕だ。
 日本から西に向かうときはほとんど何ともないのに戻って来たあとが時差ボケる、というのはやはり地球の自転に逆らったりしていることと関係あるんだろうか?ミュージシャンなんてヤワな仕事の僕はまだしも、スポーツ選手なんかたいへんだろうなあ。こないだのサッカーも西から来た国は苦労してたような気がする。フランスやイタリアはまあ、なんとかなるんじゃないの?ってな感じでやって来てどうにもならなかった。ドイツなんかはきっちり対策を講じてきて結果を残していく。国民性もあらわれたりして。でもほんとはみんな眠かったんじゃなかろうか?
 少しずつ消えていく時差ボケは少しずつ消えていく旅の余韻でもあり、無くなってしまうのは少し寂しい(少しがいっぱい出たな)。日本のアヴィニョンと呼ばれている(吉良家で)郡上に九月に行くのがさしあたって次の人生のヨロコビだ。

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