ニジイロクワガタ

 ニジイロクワガタという虫がいる。オーストラリアに住んでいるクワガタムシで、この虫の写真をはじめて見たとき「これが虫か?」と、そう思った。メタリックなグリーンのその鞘翅に周りの景色が映り混んで色んな色が見える。ニジイロというかこりゃ天然の鏡みたいなものだな、と思ったものだ。
 数年前、山梨のペンションで生きているこいつを見せてもらった。そこには昆虫館があってペンションのオーナー氏が集めたゴマンの虫達がどうだ!と展示されているのだが、そのオーナー氏がニジイロを飼育していたのだ。「生きている鏡」は実際生きて動いていた。美しかった、すごかった。気品というものが確かにあった。恋だったな、あれは。しかし「僕には一生こういう虫を飼ったりする機会はないだろうなぁ・・・」などと思ってしまう、哀しい恋だった。が、世の中の状況は変わった。
 外国産の生きたままの昆虫というのは基本的に日本への持ち込みを禁じられていたのだが、二年ほど前にクワガタやカブトムシの多くの種類でそれが解禁になった。ヘルクレスオオカブトやコーカサスオオカブト、オウゴンオニクワガタなどの昆虫少年の恋して止まない圧倒的な高嶺の花たちが、お金を払えば手に入れられるようになってしまったのだ。何だか突然そういう時代になってしまったのだ。その中にニジイロも含まれていた。風の便りでどこそこのペットショップに売っている、などと聞き、少なからず穏やかでない気分になったりしていた。当時は決して安いモノじゃなかった。本物のレスポールの一本ぐらい買えちゃう値段だったと思う。しかし、世の中は更に変わった。
 それまでオオクワガタなどで累代飼育の技を磨いてきたつわものぞろいのクワガタ屋さんがこういう輸入昆虫の飼育も始めたのだ。ニジイロなどは日本の気難しい連中に比べると実におおらかにじゃんじゃん卵を生んでどんどん繁殖するそうだ。そして、お安くなってしまったのだ。結高ネサイズのペアが、一万円での御提供になってしまったのだ。今なら飼育用のマット、飼育材、そして懇切丁寧なアドバイスがもれなく付いてくる。
 何日かは悩んだ。しかし、結局運命に逆らうのも何だし、ってことでコドモと一緒に一万円握りしめて買いに行ってしまった。それが五月のこと。それから四ヶ月が過ぎ、ニジイロ君達は今日も元気だ。この夏に捕まえたミヤマやアカアシ、その他色んな虫達が次々と力尽きていくのに彼らはいたって元気だ。ムシゼリーをおいしそうに食べ、暇があると交尾をしたりしている。何だか日本のムシとは基本的なパワーが違うような感じだ。
 そして、前回の話にも繋がるんだけど、彼らの持っていた気高さや神秘性を僕はすでに感じられなくなってしまった。今も手に取ればその美しさに何の衰えもないのに、僕のココロのありようは初めて彼ら似合った時とはずいぶん違ってしまった。そのかわり、毎朝顔を見ているのでじわじわと「情」のようなものも沸いてきている。今まで飼ってたムシが死ぬと、さほどの動揺もないまま標本にしたりしていたが、ニジイロ達が死んでしまうとちょっと困るかも知れない。
 大切に育てると四、五年も生きるそうだ。何の因果かクイーンズランド出身の彼らが世田谷の我が家で暮らしている。出会ったときの激しい恋は終わってしまったけれど、末永いおつき合いをしたいモノだなあ、などと思う夏の終わりであります。
 飼っていた輸入昆虫を、飽きたからって言って逃がしちゃう人がいるらしい。生態系へ影響が心配されたりしているけど、ニジイロのパワーを見ていると本当にやばそうだ。でもその話はまた次の機会に。

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