晩夏のお別れ

 前回紹介したニジイロクワガタの♀が死んでしまった。虫ゼリーばっかりで飽きるかな、と思って入れてみたキュウリがいけなかったかも知れない。ばかなことをしてしまった。申し訳ない。死んでしまった奥さんの隣でもくもくと虫ゼリーを食べ続ける♂をしばらく見ていた。ちょっと寂しくなったけど、元気でいろよな。
 今日はもう一つお別れがある。長い間吉良家をあちらこちらに連れていってくれた緑のチェロキーかなぶん号とも今日が最後だ。思えばハードな、というより無謀な僕の運転に耐え、よくがんばってくれた。最後にめったにやらない洗車というものを念入りにやっていると、息子が「何で洗ってるの?」と訊く。「明日、このクルマとはお別れだからきれいにしているのだよ」と言うと、いきなり泣き出した。「これがだいすきだったのにぃ」などと言って泣いている。こいつもかなぶん号後部座席のチャイルドシートにくくりつけられていろんな所へ行ったんだものなあ。そうか、好きだったのか。機械あいてにおいらまで少し感傷的な気分になっちまった。
 クルマを洗い終わって、裏の畑の見回り。いや、畑を見回るわけでなくその際に生えているカリンの木を見に行くだけなんだけど。この木は去年コクワガタが大発生して、ごく一部の人々の間で大騒ぎになったのだ。ごく一部の人々は大発生の原因をあれこれ推理し、この木が末永く無事であることを祈って2001年を終えたものだ。今年も来るかな、と人々は期待を抱いて六月頃から見回りを始めた。しかし、今年はクワガタは現れなかった。去年いやになるほどいたハナムグリのたぐいも全く見られない。七月になっても八月を迎えても虫の気配すら無かった。どうも、すぐそばで始まった舗装工事に大きな原因があるようだな、と人々は考えた。まったくもう、好きな場所がドンドン無くなって行く、とかなりしぼんだ気持ちでいた。どうせ今日もいないに決まっているのさ、と捨て鉢な気分の本日の見回りだった。しかし、来ていた。とーってもちいさな♂のコクワガタと、更に小さな♀が細い枝にとまっていた。うれしかった。息子もたてつづけのお別れ情報からすこし立ち直ったようだ。「これは捕まえないで見るだけにしよう」などと殊勝なことを申し述べている。父さんも全く賛成だ。そういえば去年もこんな時期からだったかな、十月くらいまでいたよなあ。だとすればお楽しみはこれからだね。たとえ見慣れたコクワガタでも木にとまっている姿はそれなりに心ときめかしてくれるものだ。今年もささやかな秋のヨロコビが味わえるのだとすれば、これはなかなかに幸せなことである。