ギターを売りに

 四年に渡ってZABADAKをささえてくれた愛用のギター「タコマ1号」が鳴らなくなってしまった。ボディの表面にくっきりとひびが入って、それまでのつややかな音色がすっかり損なわれてしまった。アヴィニョンでは石造りの壁にガンガンぶつかりながら弾かれなんどもなんども高度1万メートルの気圧にさらされ、湿度の全く異なる大陸を移動させられ、思えば過酷な使われ方をしてきたギターだ。郡上にも四回は来ているはずだ。
 「はちみつ白書」というアルバムから、今に至るまでの曲でアコーステイックではほとんどこのギターを使ってきた。健康で明るい、気持ちの良い音を出してくれた。鳴らなくなったと言っても修理すれば使えるだろうし、ここはひとつ楽器屋さんに買い取ってもらおう、と思った僕は渋谷のI楽器店に向かった。「このギターを買い取ってもらえますか?」と店員さんに聞くと、「はい、ちょっと見させて下さいね。」と言って奥の部屋に入った。20分位もたったろうか、哀しそうな顔をして店員さんは出てきた。「大きなひびが入っています。傷もたくさん付いていますし、かなりひどい状況です。」「・・・・・。」「ウチですと、一万円にしかなりませんが、どうですか?」というのである。「なんだとぉ!おれ様のギターがいちまんえんだとぅ!」と、思った。そして、受験に失敗した浪人のような気分になった。「そうですか、それではこのまま持って帰ります。」とその場を離れたが、実は「そんなはずはない。あの店員に見る目がないだけだ。」と考えていた。そして僕は別のK楽器に向かったのである。そこにはもっと玄人っぽい「ギター鑑定士」とでもいうべきたたずまいの店員がいた。「この人ならば本当の価値を解ってくれるに違いない。」そう思った。こんどは五分ほどで鑑定が終わった。「残念ですがこのギターに値段はつきません。」鑑定士はそう言い切るのである。「それは・・・、一円にもならないということで?」「そうです。」「一円の価値もない・・・と?」「そうです。」「クルマで言うところの廃車、ですか?」「そうです、廃車です。」
 産卵の終わったサケのような気分になった。よろよろと店を出て、家に帰って改めてタコマ一号を見る。たしかに、傷だらけである。僕にはその一つひとつに覚えがあった。サウンドホールを覗くと血痕が確認できる。我を忘れて弾き狂い、指先から飛び散った紛れもない僕の血だ。申し訳ない気分になった。こいつを売り払おうなんて、おいら間違っていたよ。鳴らなくなったからってはい、さよならじゃやっぱ、あんまりだよな。いつかZABADAK記念館が出来たら、このギターはとても重要な展示品になるに違いない。その時まではゆっくり眠っていてもらおう。

次の記事

どんぐり