妙に暖かな12月6日

 44回目の誕生日を迎えました。ずいぶんとはるばる来たものだなあ、とも思うのですが、どうも年齢と実際の自分との折り合いのつかなさは年々増しているような気がします。つじつまがなんだかあってないなという感じです。
 僕は父親が24歳の時に生まれました。だから父親が44歳の時に僕は20歳になっていました。長かった反抗期を通り過ぎ、立川の暗いアパートで本気でギターに取り組み初めていたあの若造の親父が今の俺と同い年だなんて、すこしめまいがしそうです。
 44歳の父は今の僕より恰幅がよく、今の僕より白髪がたくさんあって、今の僕よりずっとおっかなくって、今の僕より、つまり断然大人でした。スーツを着て、鞄には書類を詰めて満員電車に乗って出かけた学校では生徒の生活を指導しちゃうような44歳の教師でした。僕はといえば、いまだに生活指導受ける立場の人間なのに。40にして惑わずなんて言った人がいるけど、それから4年がたってもおいら惑いっぱなし。大丈夫かなあ、って不安になります。
 とりあえず、未知の領域に突入していくわけですが、年齢なんてその人にとって見れば常に未知の領域だよな、とも思います。家の息子だってまっさらな6歳児の後半を日々過ごしているのだし、小峰公子も友達のみんなも、生きとし生ける全てのみなさんが常に未知の領域を生きているのだと、あたりまえのことにすごく今気づきました。
 生まれて初めての毎日を体験していくんだから、見本なんていらないな。お手本なんて役に立たないな。大丈夫も何もないな、これしかないんだから。
 父親の44歳とは全然別の、僕は僕の44歳をとりあえずはやっていくしかないわけで、そう思えばへいちゃらになって、そんなこんなを考えていたらもう二日経っていました。

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