金持ちと時間持ち

金持ちがたっぷり時間を持ち悠悠自適に暮らすのは、中々宜しい。だが、金持ちが更に金を稼ごうとか、持っている財産を減らしたくないとかで金に拘ると、暇がなくなり心配事が多くなる。
他方、貧乏人は暮らしを立てるのに四苦八苦する。朝から晩まで働かねばならないと考える人も多い。子供がいれば、やれ教育だ、やれ何だと金が要る。親として忙しく働き、自分の時間を削って子供を育てている人も多いだろう。
だが、ものは考えようだ。私は貧乏人である。だが、それほど忙しくもない。仕事は、幾つか経験したが、皆楽しかった。金はさほどでないとしても、自分が時々にやりたいことをやってきた。今も楽しい。質素でも生活できる分があれば、それ以上金はいらない。
私にも子供がいるが、それとしての「責任」を感じたことは多分一度もなく、単に育てるのが楽しみであったに過ぎない。自分のために仕事をしたのであって、いくらか彼等のためにもなったかもしれないとしても、彼等のために働いたことはない。つまり、私が彼等の犠牲になったことはないのである。だから、私には彼等の生き方に口を出す権限もないし、能力もない。
仕事で能率を上げて休日をつくる人もいる。うまく金を儲けて暇をつくる人もいるだろう。だが、私はそんな時間すらもったいない。
一般に、人間は裸で生まれ、成長して一人前となり、年を取って死ぬ。自分が意識できるようになってから死ぬまで、丸ごと一生が私の持ち時間なのである。

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