旨すぎ
世は飽食の時代という。勝ち組と負け組がくっきり分かれて来たとは言っても、この国で餓死するものは殆どいないように見える。
食えるとなれば、可能な限りうまいものを食べたくなるのが人情である。同じ材料でも作り手の技量によって味に差が生れるのは当然であるし、心をこめて作る家庭料理が安心して食べられる事もうまい内に入るだろう。
私が驚いたのは日本で食べたナンである。私はインドで一年以上暮したことがある。そこで食べてきたナンは、皆さんご存知の通り、発酵させずに少し塩を加えて窯で焼いただけのパンである。まことに単純な味だが、焼き方が香ばしくて、毎日食べるには適している。シチュウやカレーに付けて食べると、香ばしさが失われず、結構バランスの取れた味になる。
これに対して日本に帰って食べた「ナン」は、発酵させた上に風味の良いバターを混ぜてあるらしく、それだけで複雑で豊かな味がした。もうこれだけで完成品といってよいほど「旨かった」のである。ところが、次に行く機会があったのに再度これを注文する気にはならなかった。私には「旨すぎた」のである。
熟練した職人が「高級食材」を工夫して調理すれば、美味いものは美味い。「柔らかい」肉として賞賛されるブランドのさし肉や、脂ぎった鮪のトロ、「コク」を出すために上質なカツなどを入れたカレーなど、世は旨いものに溢れている。
デザートで食べるケーキにしても、おやつのチョコレートやお菓子にしても、過剰に甘くなっている傾向を感じる。どちらも、私には「甘(うま)すぎる」のである。
私はこれらの「旨すぎる」ものを食べても、人生を豊かにするとは感じない。なんだか荒んだ心を一時的に癒す食べ物に過ぎないような気がする。この点では、むしろ「貧乏くさい」のではなかろうか。
「うま過ぎる」話は危ないが、「旨すぎる」食べ物にもまた気をつけたいものである。