人物画像鏡(3) -「夲」の傍証-

「日十大王」が「日夲大王」の略体であれば、「日本大王」まではそう遠くない。そこで金文史料で使われる俗字ないし略体を検討してみよう。
『隋大善知識信行襌師興教之碑』の宋代拓本に、「夲根」とあり「本」に「夲」が代用されているのが見られるから、『廣韻』の「夲」に実態があることは間違いあるまい。
日本で使われた最も早期の鋳銭であると長い間言われていた「和同開珎」では、既に検討したように「同」は「銅」の略体もしくは仮借字である。「開」の字体も興味深いがさておいて、ややこしいのは「珎」である。
『説文』玉部に「珎」の字形はなく、『玉篇』では「珍」の俗字とされている。このまま解釈すれば『玉篇』が「張陳切」、『廣韻』が上平声の「陟鄰切」だから、仮名音で「チン」あたり。
だが、「珎」はまた「寳」の略体とも考えられる。「寳」は『説文』になく、「寶」の異体と考えられる。とすれば『玉篇』で「寶」を「補道切」、『廣韻』で「博抱切」とするから、「ハウ」「パウ」あたり。
少し難しいが、「珍」と「寳」は互いの意味を表して互訓であり、転注ということになっている。
近年、「富夲」銭というのが発見され、これが日本最古の鋳銭ということになってきた。この場合、一般に「夲」は「本」の意味で用いられ、中学校の教科書にも載っている。とすれば、「夲」は「本」の異体または俗字に解されていることになる。この貨幣がどの程度出回っていたのか分からないが、少なくとも「夲」を「本」の代用とすることが相当一般化していたことは認められるだろう。
特に百済滅亡後、百済から大挙して日本国に亡命したことを考えれば、「富夲」もこの延長に考えられるかもしれない。
木簡でも調査したいところだが、手持ちの史料ではこれを確認できない。