役者と訳者
最近、どういう風の吹き回しか、翻訳する機会が増えている。ある筋から「本草(ほんぞう)」に関して、少しは役に立ちそうだから手伝えということらしい。
外国語を翻訳するのは、その背景にある習慣や考え方の癖が異なっており、無論簡単ではない。増して、既に古典になっているものの訳となると気が重い。
私は元来怠け者で、熱心に本草学を勉強したこともないし、医学については全くの門外漢である。少しばかり「小学」といわれている分野では継続して取り組んではいるが、これとて成果が上がるところまで行っていない。
となれば、なぜそんな大それたことを引き受けたのか、となる。が、まあ、そこまで詮索する必要はなかろう。
やっていて少し分かってきたことがある。自分が世捨て人ではなく、何かしら人の役に立っているのではないかという点である。これとて単なる思い込みとも考えられて確かではないが、自分の身に照らして、今まで生きてきた道筋とは別の観点から見ていることが実感できる。
東洋医学は副作用が少ないと言われ、最新のガン治療でも使われ始めている。大げさかもしれないが、西洋医学の弱点を補い、新たな医学の展開に幾らかでも貢献できれば望外の喜びである。
訳者として私の能力が不足していることは明らかだ。だが、まるで私が最前線に立っているという錯覚も悪くない。自分が自分であって自分ではないような気がして、何だか、役者になったような気分である。
ただ翻訳している間は家に閉じこもってしまうので、周りの人に会うと、別の意味で「世捨て人」になっているらしい。