方言と歴史学(1)

思わずテーマが大きくなってしまい、私の手に負えるとは思えないが、内容を分かりやすくするためであって大望はない。
私の住む岐阜県は東部方言の西端で、一応東京式アクセントの西端にもなっている。
郡上は複雑な様相を呈している。市内の石徹白地区は、東部方言区に入るのかどうかはっきりしない。一山越えた旧穴馬村、和泉村は無アクセント(崩壊アクセント、曖昧アクセント)の地区であり、越前の大野を越えると西部方言で、京都式アクセントになる。
私は、郡上に引っ越した三十年ほど前は、西部方言で東京式アクセントの印象をもっていた。だが、統計をとって調べたわけではないので、単に印象を受けたというだけのものである。
この地区の通史をみると、承久の乱後、関東の千葉氏の流れをくむ東氏が地頭として郡上に入り、約三百年間最有力であった。その後、遠藤氏、金森氏などが領主として入ったが、宝暦騒動の後は丹後から青山氏が入城した。
遠藤氏を土岐氏の幕下とすると東濃地区の影響がありそうだし、金森氏はあるいは京都アクセントに関連するかもしれない。
古老の話によると、明治から戦前まで武士階級を祖先に持つ家は西部方言で京都アクセント、庶民は東京アクセントに近い話し方をしていたという。東部方言と西部方言が入り乱れるほかない事情がよくわかる。
方言学が歴史学へ声高に口を出すのは軽薄なことが多いが、他方で歴史学が方言学の成果を軽々しく利用することも許されない。この点を充分踏まえて、この地区に関連した幾つかの点を検証していくことにする。

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