『説文』入門(12) -「日」について-

「十」に続いて、今回は「日十大王」の「日」について楽しみたい。人物画像鏡以外でも、幾つかの点で参考になるかもしれない。
七篇上001に「日 實也 大昜之精不虧 从〇一 象形」とある。念のために言えば、「實」は「実」の旧字体で、「昜」は「陽」、「虧」は「欠ける」だから、「日 実なり 太陽の精が欠けない 〇一に従う 象形字」辺りに訳せそうだ。
「日 實也」は、「日」を「實(ジツ)」という類似音で解しており、声訓と考えてよかろう。単なる洒落みたいに感じる方もあろうが、これが案外役に立つ。
「大昜之精不虧」は「太陽の精が欠けない」という義だが、その意味がはっきりしない。
「从〇一 象形」の「〇」は太陽の象形。段氏によれば、「一象其中不虧」とし、「一」が太陽の中にあって欠けることがないことを示していると云う。
「日」は象形字であり、字形から音をたどることはできないとしても、上で述べたように「日 實也」から「ジツ」の類似音だとは言える。段氏も「人質切 十二部」とし、これを肯定しているようにみえる。
後漢末に編纂された『釋名』でも、魏代の『廣雅』でも「日 實也」である。また、『玉篇』及び『廣韻』でもそれぞれ『説文』『廣雅』を踏襲しており、伝統化した解釈だから、音についても同様に考えてよいだろう。
ただ、『廣韻』の「人質切」にしろ『玉篇』の「如逸切」にしろ、声母がそれぞれ「人」「如」であるから、呉音(南音)と漢音(北音)で異なることに留意する必要がある。平たく言えば、「ジッ」「ジツ」辺りが北音系で、「ニッ」「ニチ」辺りが南音系ということになる。
さて、画像鏡の「日十」の「日」をどう読むかだが、
1 「ジ-ジュウ」の「ジ」は、「ジッ」の音借として一応可能な読み方だろうが、万葉仮名に広げても「日」に仮名で「ジ」の用例がなく心もとない。
2 「ヒト」と読むのは、この時代それぞれ「日」を「ひ」、「十」を「とを」と訓読みしていた根拠が薄く、「十(と)」では更に訓読みの一部を用いていることになるし(訓借)、またなぜ百済で倭語ないし和語の訓を用いるのか腑に落ちない。
3 「日十」を「十日」と日付に解するのは、この鏡が列島で作られ、倭語ないし和語の語順になっていると考えていることになるが、「八月」ではそうなっておらず、なぜここだけがそうなのかという疑問を拭えない。
まあ、それぞれ私には実感の湧かない仮説である。