金印(2) -漢語のルール-

私は、いわゆる「金印」を真物として、重要な金石史料と考えている。読み方に諸説あり、それぞれを吟味した上で、私の意見を述べてみたい。すでに多くの詳細な研究がなされており、特に目新しい解を説くわけでもないが、幾つか腹案がある。
金印発見以来、様々な読み方が試みられてきた。現在、中学や高校の歴史の教科書では「漢の委の奴の国王」と読まれている。つまり、この読解が今でも定説の位置にあるわけだ。
これは、新井白石が「奴国 那珂郡」(『外國之事調書』)とし、本居宣長も「かの伊都国の次にいへる奴国は、仲哀紀に儺縣、宣化紀に那津とあるところにて、云々」(『馭戎慨言』)として、「委奴」を「委-奴」に分ける道を開いた。
これに対し「委奴」を「邪馬臺國」から「ヤマト」(亀井南冥説など)と読んだり、『三国志』魏書東夷傳・倭人条に登場する「伊都」にあてる説(上田秋成)などが登場する。幕末から明治の中ごろまでは、この「伊都」説が有力であったが、三宅米吉氏の論文により「漢の委の奴の国王」の読み方が定説への道を開いたとされる。彼は、
1 「委」の音が「ヰ」で「伊」は「イ」であり、「奴」が「ド」で「都」は「ト」であるから、いずれも音韻が合わない。
2 『後漢書』で「倭奴国」が「極南界」にあるとするのに対し、「伊都国」は九州の北岸にある。
として「伊都」説をしりぞけた。学説史はこれぐらいにして、私の仮説を紹介する前に、予めその方法を示しておく。
1 平明を旨とし、書かれている時代に遡って文字の形音義を丹念に調べる。
2 用例から、そう読まざるを得ない点を重ねる。この史料は後漢朝によって製作されたものであるから、漢語のルールに従って読む。
3 細かい点は、自分が描いた全体像から読み方を択ぶ。
こんなことは誰でも心がけているとは思うが、まず結論ありきの読み方をせず、恣意で文意を曲げないよう肝に銘じておくため披露したまでである。