『説文』入門(18) -「委」と「伊」-

いわゆる金印で「委奴國」の解釈につき、それまで定説であった「伊都國」説を覆す根拠となった音韻について確認したい。三宅説では、「委」は「ヰ」で「伊」は「イ」であり、また「奴」は「ド」で「都」は「ト」であるから、「委奴國」を「伊都國」にあてることはできないという主旨であった。今回は、このうち、「委」と「伊」を取り上げてみる。
『説文』で「委」は「委 委隨也」(十二篇下105)で、「伊」は「伊 殷聖人阿衡也 尹治天下者」(八篇上020)である。義についてもなかなか面白い視点が得られそうだが、ここでは音韻に焦点を絞ることにする。
「委」については金印(3)で、曹憲が「於悲反」、段氏玉裁が『玉篇』及び『廣韻』上声を採用して「於詭切」とする点を紹介したので、これをもう少し補足しておく。
段氏は「伊」を、やはり『玉篇』及び『廣韻』を踏襲して「於脂切」とするから、「委」「伊」の声母は「於」で同じである。従って、頭子音に[w][y]のいずれを択ぶとしても、漢語に関する限り、「委」は「ヰ」で「伊」は「イ」であるから異なるということは考えられない。
韻母について言えば、段氏は「悲」「脂」及び「詭」を別音とする。彼は「悲」「脂」を十五部に、「詭」を十六部に分類しているから、両者が異なると考えていることは確かである。だがこれは『詩經』に遡ってみれば区別できると解しているのであって、秦代の琅邪臺刻石に至ってはっきりしなくなり、漢代にはこの区別が難しくなっていると考えているのではないか。段氏は『音均表』二で「委声」「伊声」を同じく十五部としており、『説文』の時代つまり後漢代にはこれらの区別がつかなくなり、「委」「伊」を同音に解しているとも読める。
『詩經』豳風・東山2章「伊威在室」の毛伝に「伊威 委黍也」とあり、「伊」「委」の音が区別されていないように見えるし、曹憲もこれらを区別していないわけだ。
これらからすると、三宅説は仮名で「委」が「ヰ」であり、「伊」が「イ」であることを根拠にしていたのだろうか。