金印(6) -「委奴國」-

これまで音義ともに「委奴」を「委-奴」と読む根拠が薄いと考えてきたが、これが定説であることに敬意を表し、更に用例を検討してみよう。
中国が諸蛮などの長に与えた印文は、殆どすべて「中国国号-与えられる側の国号-中国官名-璽章印」の語順が原則になっている。支配・被支配の関係を直接に示すのであるから当然である。この例外にあたる可能性のあるものとして、「漢匈奴惡適尸逐王」印が取り上げられる。
『後漢書』南匈奴列伝に「以比爲右薁鞬日逐王 部領南邊及烏桓」とあり、「匈奴單于・輿」が「比」という人物を「右薁鞬日逐王」にし、匈奴の南辺及び烏桓を支配させたとあり、「薁鞬日逐」を部族名にも解せる。これから「惡適尸逐」を部族名と解せそうで、「漢-匈奴-惡適尸逐-王」とも読めそうだ。これを「委-奴」と読む根拠にするのだが、「匈奴-惡適尸逐」と切るのであって「匈-奴」ではないし、また「惡適尸逐」は部族名の仮借字であって国名のそれではない。
また同列伝に「單于遣子入侍奉詣闕 詔賜單于冠帶衣裳黄金璽」とあり、「單于」つまり種の長には「黄金璽」を賜うとある。従って上の印は銅製であるから、匈奴という種族の一部族を取り込み、その長を王に任官したことを示すに過ぎないだろう。この時点で匈奴種全てを支配していると主張しているわけではない。
「委-奴」と切れば「委の奴國」となるから、「委」を「倭」とみて「倭人」「倭種」「倭國」のいずれに解しても、まず「奴國」が存在したことを示さなければならない。仮に紀元一世紀半ばに「奴國」が存在していたとしても、同国が抜きん出た勢力を持っていて倭種を代表できたことを証明できない以上、百余国ある倭種の一国に過ぎない「奴國」に金印を与えて任官するとは考えられない。他の用例が見当たらないし、これだけで「委-奴」と切り離して読む根拠にし難いだろう。
私は以前から、「倭の奴の國王」説でも「伊都の國王」説でも「國王」の読み方に疑問があった。漢は郡国制を敷いており、『漢書』地理志及び『後漢書』郡國志において、「郡」「國」をそれぞれ郡名・国名と切り離して読む例が見当たらないからである。
これからすれば、字義として「委奴-國」に解せても、制度上「委奴國」を切り離して読むことはできないのではないか。従って用例からも「漢-委奴-國王」と読むことは考え難く、「漢-委奴國-王」と解さざるを得ない。私は、この点が「奴」の音に関連するかもしれないと考えている。

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