金印(10) -「委奴國」と「伊都國」-

ここまで「漢の倭の奴の國王」説を中心にみてきた。「委-奴」と切ることはおろか、「委奴-國」に切って読むことも難しく、「漢-委奴國-王」と読むほかないと思う。
金石文の解析をすれば私の使命はそれなりに果せたことになろうが、ここまで来たのであるから、年来の宿題を果しておきたい。
金石文を系統の異なる他史料へ援用するのは容易でない。この場合、『三國史』魏書・東夷傳倭人条の「伊都國」にあてようというのであるから、細心の注意が必要である。
私は、金印の「委奴國」が『後漢書』東夷傳の「倭奴國」であり、「倭奴國」が発展してある程度集権化され「倭國」になったと解している。これが「倭國大亂」まで続き、乱後、主たる担い手が変わったと考えている。いずれこの点を明らかにするとしても、今回は「伊都國」に焦点を当てたい。
私は『三國志』倭人条で、
1 王がいると記されるのが「女王國」「狗奴國」「伊都國」の三国のみであること、
2 恐らく後漢代から魏代にわたって中国の使節が駐留する所であること、
3 女王國の重要な「一大率」という官が置かれていること
など、「伊都國」が女王國で主流ではないとしても内政・外交上無視できない存在であることを「委奴國」にあてる根拠にしている。
音韻については、
1 後漢代では、「委」「伊」は「ヰ」でほぼ同音 (『説文』入門18)、
2 「奴」は「ド」と読め、「ト」の痕跡もある (『説文』入門19)、
3 「那」「它」「大」「土」など、声母の[d][t]がさほど厳密に区別される音ではない (『説文』入門20 21)
4 「奴」は「都」と同部疊韻・同声調で仮借が可能である(『説文』入門22)
などから、三宅説が否定した音韻論が必ずしも充分な根拠があるとは思えず、「委奴」「伊都」が仮借字と考えられる。
ただ「委奴國」が後漢朝の用語で、「伊都國」が倭人側のそれとすれば、これらに共通な原音があったとも考えられ、「倭」の語源を知るためにはこれを探る必要があるだろう。