ネーミング

第二回WBCの結果がでた。野球の国別・地域別対抗戦である。日本代表が第一回に続いて連覇したのは見事だ。私は門外漢であるから、監督の選任にしても、代表選手の顔ぶれにしても口を挿むつもりはない。
私が違和感を感じたのは、「侍ジャパン」という公式のネーミングである。どのような経緯で決まったのか知らないが、大人がつけたとは考えられない。
ここしばらく耳を澄まして誰かが言及するのを待っていたが、まったく聞こえてこないので書くことにした。結果オーライという立場からすれば、不問に付す人が多いかもしれない。
野球はチームスポーツであり、個々の優れた力を集めるだけでなく、うまくチームとして機能してはじめて短期のトーナメントに勝ち抜くことができる。そのため、個人の欲や力を制御して、チームの「犠牲」になることもあるだろう。また困難に立ち向かって、雄雄しく闘いを挑んでいく精神を選手に求めたかもしれない。
だからと言って、スポーツの世界選手権で「サムライ」を表に出すことはないだろう。チーム全体で、死を覚悟して、結果を出すよう戦いなさいというのだろうか。
私欲を捨て、ご恩に報いるために、死を覚悟して戦いに臨む精神は尊いかもしれない。だが、これは各人の心の中の話であって、中には職人気質の選手も多いだろう。少なくとも私は、彼らを応援はしても、恩を与えたことはない。
万が一彼らが失敗したときに何らかのバッシングがあると感じれば、プレーに集中できない原因ともなり、大きな心の傷を作りかねない。結果が悪ければ、至る所で軋轢を生じていただろう。
野球がスポーツである以上、代表に択ばれた栄誉と責任があるとしても、まず自らベストを尽くして楽しみ、又見る人をも楽しませるのが本筋である。
選手の一人が、「アイドルでもないのにアイドルとネーミングされるようなもので、侍でもないのに侍と呼ばれて、プレッシャーを感じた。侍が最終的に勝てなかったら格好が悪い。勝つことができてやっと侍になれた」という内容のことを言ったそうだ。
武士道も素敵だが、歴史を紐解けば、侍が隣国に侵略して悪さをしたこともある。
多少のナショナリズムは悪くないとしても、もう少し明るく、溌剌とした名称はなかったのだろうか。