『説文』入門(30) -「來」-

もともとこのシリーズははっきりした目的を持たずゆったりした気分で書くつもりであったのに、浮かぶのは緊急で必要なものばかり。頭に残っている滓みたいなものをある程度出してしまわないと、視野が広くならないのかもしれない。今回は好太王碑文に関連して、「來」の用例を下調べしておく。
『説文』で「來」は「來 周所受瑞麥來麰也 二麥一夆 象其芒朿之形 天所來也 故爲行來之來」(五篇下158)である。
許愼によれば「來」は小麦の「芒朿(のぎ)」を象った象形字で、『玉篇』『廣韻』によると、「来」は「來」の俗字である。
音について段氏は『廣韻』上平聲巻一咍十六を採用して「洛哀切」とし、更に古音に遡れるとしている。『玉篇』でも「力該切」とし、段氏は韻母の「該」(三篇上280)を「古哀切」とするから、ほぼ同音と考えてよかろう。仮名音でいえば、「ライ」あたりが考えられる。
『集韻』では入聲に「洛代切」があり「リョク」「ロク」、「六直切」は「リキ」あたりの音だろう。だがこれらがどれほど遡れるか不明である。
義について許愼は、「周所受瑞麥來麰也」とする。「麰」は「麰 來麰 麥也」(五篇下161)であるから、周が天から得た「麥」と解していることになる。一般に「麥」は小麦と考えられている。これから、彼は小麦が天より来たったものとし、引伸で「行來」など動詞の義が生まれたと説くわけだ。
動詞で「來」は、「往來」「行來」などで「きたる、くる」の義があり、『三國志』魏書東夷傳馬韓条で「不相往來」「乗船往來」、同倭人条で「其行來渡海」など用例が多い。また「不來」の「來」は「至る」、他に「帰る」「勤める」などの例もある。
また「由來」「以來」などでは、「このかた、から、より」などの義でも使われる。ただ、前者の「由來」は時間のみならず理由を表すことがあるのに対し、後者の「以來」は「以」から時間を指す場合が多いだろう。
以上「來」の基本情報を整理したのは、碑文の「而倭以辛卯年來」における「來」を動詞とみるのか、或いは「以辛卯年來」の「以-來」を「以來」として接続の句とできるかを判断する分岐点に立っているからである。