好太王碑文(2) -「以來」と「以後」-

「而倭以辛卯年來渡海」という章句をどう訳すかが論争の過半を占めるので、まずこれから取り上げてみる。今回は「來」の用法のうち、「以來」という観点から考えてみよう。「以來」は現代でも使われる用語で、「以後」とほぼ同じような意味で使われている。しかし、過去に遡っても同じとは限らない。
まず碑文中の「自此以來」の用語があり、「以來」が「云々よりこのかた、その後」の義だろうから、確かに「これより、これから、これ以後」の義と考えられそうだ。だとすれば、碑文でもほぼ「以來」「以後」は同義と考えてよさそうだが、やや用法が異なっている。
「自此以來」「自上祖先王以來」は、それぞれ過去のある時点から継続している義で、「以來」は<since>の義と考えられよう。これから、「自此以來」は<since then>、「自上祖先王以來」は<since the former king>と解される。
これに対し「以後」は、一般に「以降」とほぼ同意語で、連語とみられる。碑文では「從今以後」、「自今以後」の二例ある。いずれも「云々よりのち、爾後」の義で、将来・未来の意味で使われている。したがって、「以後」は<after hereafter>などの義と考えられ、いずれも「從今-以後」「自今-以後」だから、<from now on>あたりだろう。
これらから、碑文中では「以來」を<since>、「以後」を<after>と解してよさそうだ。
さて、碑文の銘文中にある「而倭以辛卯年來渡海」の「以-來」を連語とみて、「而倭-以辛卯年來-渡海」とみる場合がある。つまり「以辛卯年來」を句とみて「辛卯年よりこのかた」とすれば、「倭-渡海」となるしかなく、「しかるに倭が辛卯年よりこのかた海を渡り、百済を破り云々」となり、海を渡った主語が好太王ではなく倭ということになる。
上で見たように「以來」を連語とみることは可能でも、この義を保持したまま、「以-辛卯年-來」と時間を表す修飾語を挟むことができるかという問題がある。結論だけを言うと、今のところ適切な例文が見当たらず、やや無理ではないかと考えている。