石榴 -音韻篇-

私は好きだから拘っていることもあるし、やむを得ず拘っていることもある。石榴は好きなものの一つで、味もさることながら、その背景も相当おもしろい。
インドで甘すぎる果物に飽きた頃、透明な味に加え、品のよい甘さと程よい酸味が気に入り、すっかり石榴にはまってしまったことを思い出す。イランなどの西域から西北インドあたりが原産らしい。さもありなんである。
『法華經』陀羅尼品第二十六で十羅刹女と共に鬼子母神が登場する。鬼子母神は訶梨帝母(カリテイボ)のことで、仏法を護持する神とされ、右手に石榴を持つことが多い。
本居宣長翁の『玉勝間』に気になる文がある。「言のはじめを濁るも、まれまれにはあるは、蒲石榴楚斑紅粉などのごとし、これらふるき物にも見えたる詞也、後世にこそ濁りていへ、古はみな淸ていへりし也、(中略)、ざくろは、石榴の字の音なるべし、されど六帖の題にもあり、云々」(巻十「はじめを濁る詞」)
この中で、「石榴」を「ざくろ」と読むのは古い用例ではないという。「六帖の題」でどのように登場するのかよく知らないが、『本草和名』(深江輔仁 平安中頃)に「安石榴 和名左久呂(さくろ)」とある。これからすると、本邦に入ったのがこの時期辺りで、「ざ」になったのは更に後ということになる。
漢語では、『説文』には記されず、『廣雅』に「楉橊 柰也」(巻十上釋木201)とあるのが目に止まる。この場合「楉橊」は、音韻からも、「石榴」と考えてよさそうだ。
陸機の『與弟雲書』に「張騫爲漢使外國十八年 得塗林安石橊也」、『御覽』引く『廣志』には「安石橊有甜酢二種」とある。
前者の「塗林」には二説あり、国名とする説、サンスクリット語「ダリム(石榴)」の仮借字とする説がある。とすれば、南回りで中国へ伝わった可能性もあるわけだ。いずれにしても「安石榴」は「安石(安息)-榴」で、「ペルシャの瘤ある木」と解されている。
以上から「安石榴」は漢代にはまだ一般化しておらず、『藝文類聚』『御覽』などから、魏晋代に「安石榴」「楉橊」などの表記で認識され始めたと考えてよかろう。
郡上でも、古くから庭木として植えるのが流行ったようで、古い家で立派な木を見ることがある。朱色ないしオレンジ色の可憐な花が咲き、その後にやや小ぶりの実がつく。気候のせいか、充分熟したと思っても酸味が勝っており、私は苦味を感じてうまいとは思えない。
本居説はともかく、本邦に入った「甜酢二種」のうち「酢種」は食用ではなく、法華経に伴い「石榴(じゃくろ、ざくろ)」辺りの音で伝来したのではないかと考えている。