アラカン

最近何回か「アラカン」という語を耳にした。私の世代であれば、まず嵐寛寿郎を思い浮かべるだろう。たしか「鞍馬天狗」だったか、嵐寛のさっそうとした演技を思い出す。だが、よく聞くとそういうことではなく、「アラウンド還暦」を省略した意味だそうだ。
私もほぼその世代であり、仲間の多くもそうである。「還暦」は「暦が一巡してもとに還る」という意味で、六十年で一巡する。世間では、夭折せず一回り生きてきたことを祝うことがある。私は金輪際勘弁してもらいたいが、すでに赤い帽子と綿入れなどを贈られた仁もいるだろう。
私は若い時から十干と十二支で回れば百二十年ではないかという疑問があり、六十年で一巡することが腑に落ちなかった。つい最近まで、なぜ還暦が六十年なのかはっきり理解できていなかったのである。
干支はまず「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」の十干、「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」の十二支で構成されている。若い世代でも、古典の授業で習うので、少なくともこれらは目にしているはずだ。
そこでじっくり干支の回り方をみると、十干と十二支がそれぞれ別個に動いていることが分かる。つまり一年目は「甲子」で、二年目は「甲丑」ではなく「乙丑」、三年目は「甲寅」ではなく「丙寅」という風に回る。
つまり十干と十二支が同時に出発して、十干は十年で一巡し、十二支は十二年で一巡する。だから十干は六巡で、十二支は五巡で、それぞれ丁度六十年となり、六十一年目にまた「甲子」に戻る。まあ言えば、私には10と12の最少公倍数が60という謎が解けなかったわけだ。
長年の間、落ち着いて干支を考える時間をとらなかったか、疑問を抱きながら解決しようとしなかったことになる。だがまあこんなことは、私にとって珍しいことではない。「アラカン」騒ぎをきっかけに、やっと還暦について氷解し、つけを払った気分になることができた。
時代が変われば言葉の意味が変わるのも自然で、ただただ自分の愚かさと過ぎ去った時間の長さを思うのみ。

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