翰海(下)

倭人が漢語を理解していたかどうかは重大なテーマであるし、またどの程度使いこなしていたのかも合わせて考えていければ幸いである。
ここで少しばかり字形について説明しなければならない。題字が「翰」であって「瀚」ではない点に気づいておられる方も多いだろう。『三國志』倭人條には「瀚海」とあるから、これを中心に考えれば、三水をつけた「瀚」も考えられる。
確かに『廣韻』は「瀚 瀚海 北海」(去聲巻四 翰二十八)であり、また『玉篇』でも「瀚」「翰」は別々に収録されて「瀚 音汗 海名」(水部第二百八十五)となっている。あえて「翰」を選んだが、失敗だったかもしれない。
だが、『説文』には「瀚」の字形が収録されていないし、『史記』など基本文献で「翰」の字形が使われることも多い。「連」に草冠がついて「蓮」になったように、あくまで「翰」が原形であって、後漢代あたりから「瀚」が特化し「瀚海」の意味を表すようになったのではないかとも考えられる。
そういうようなわけで、今回は「翰」の用例を中心に見ていくことにする。
『説文』は「翰 天雞也 赤羽 从羽 倝聲」(四篇上146)で、「天雞也」の解である。やまどりの義とされることが多い。これからすれば、海名に山鳥の名前がついていることになる。ここで『史記』の用例をみてもらいたい。
1 「臨翰海而還」(巻一百十匈奴列傳第五十) 集解「如淳曰 翰海 北海名」 正義「按 翰海自一大海名 羣鳥解羽伏乳於此 因名也」
2 「登臨翰海」(巻一百一十一衞將軍驃騎列傳第五十一) 集解「張晏曰 登海邊山以望海也」 索隱「按 崔浩云 北海名 羣鳥之所解羽 故云翰海 廣異志云 在沙漠北」
これらから、「翰海 北海名」の義が少なくとも前漢代に遡ることができることは間違いあるまい。「海」は『爾雅』あたりまで遡ると、必ずしも海の義のみならず、辺地という意味もある。2の『索隱』注では『廣異志』が「在沙漠北」とするようだから、北方の荒地を指している義も捨てられないが、他の注や用例から海名と解してもよいのではないか。
『説文』で渤海は「澥 勃澥 海之別也」(十一篇上一147)と記されている。海を渡って朝鮮を伐った武帝の時代を思えば、渤海の北に「翰海」があると認識されるようになってきたのではなかろうか。倭人が自らこれを使っている訳だから、漢語として使っているか、漢語を母国語とする人々が命名した可能性が出てくるわけである。1の『正義』で「按 翰海自一大海名」とする点は、いずれまた触れることができるかもしれない。

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